平成27年 1月 法話

迎春 光壽無量

安城の御影(あんじょうのごえい) 

本年も油断なく親鸞聖人のお示しくださいましたお浄土への道をお聴聞させていただきましょう。




     安城の御影



             安城の御影 肖像画部分


上の写真は「安城(あんじょう)の御影(ごえい)」といわれる親鸞聖人の肖像画です。現在、淨教寺の仮本堂には、これを忠実に模写したものをお掛けしております。
「安城の御影」は、真中に肖像画、上部に『浄土論』二段目に『仏説無量寿経』、下部に『正信偈』の讃銘が書かれてあり、その最後に「愚禿親鸞八十三歳」と記されている所から建長七年(1255年)に描かれたものとわかります。

「安城の御影」の由来は、覚如上人のご長男である存覚上人が書き残した『存覚(ぞんかく)上人袖日記(そでにっき)』に詳しく記されています。
それによると、三河の国(愛知県)安城(あんじょう)に住む照空(しょうくう)が所有していた御影(ごえい)について文和三年(1354年)九月に存覚上人に話し、翌年それをご覧になられ詳細に絵についての記録をされたこと、そして御影の最初の持ち主は、親鸞聖人の門弟であった専信房(せんしんぼう)専海(せんかい)という方で、照空はその子孫にあたることや、肖像を描いたのは朝円という絵師であるということも書いてあります。

専信房専海という方は、真仏(しんぶつ)上人(しょうにん)の門弟として高田門徒に属し、帰洛後の親鸞聖人をしばしば京都に訪ねて直接教えを受けていた方です。また、聖人葬送の時には、顕智(けんち)上人とともに拾骨しておられ、親鸞聖人と非常に深い関係にあったことが知られます。

親鸞聖人のお顔の表情は、口を細めて強く息を吐いたような、いわゆる嘯(うそぶ)きの御影(「ウソヲフカセマシマス御口也」と、蓮如上人の裏書に記されています。)と呼ばれるもので、83歳の老境のすがたの中にも気骨さが感じられる尊いお顔立です。蓮如上人の裏書によると、親鸞聖人はこのご影像をご覧になられて「鏡ヨリ似タリ」と仰せになられたと記されています。

普段私たちが目にする親鸞聖人のご影とこの「安城の御影」の違いは、聖人の前に並ぶ調度品の数々です。それらについては『存覚上人袖日記』また蓮如上人の裏書に記されています。それによると、左にある箱は、「火桶(ひおけ)」で桑(くわ)の木で作られ、連子(れんじ)の間(あいだ)からは赤々と火を放っているのが見て取れます。また、真中の揃(そろ)えて脱がれた草履(ぞうり)には猫皮(ねこがわ)が貼(は)られているそうで、右に横たえられた杖(つえ)は、桑の木製で、中程が二股に分かれた「股振(またふ)り」となっており、さらに持ち手には猫皮(ねこかわ)が巻かれています。

親鸞聖人の座っておられる敷物は狸(たぬき)の皮が用いられており、首には帽子(もうす)(頭にかぶる頭巾)とよばれる襟巻状(えりまきじょう)のものを巻き、着衣についても茜根裏(あかねうら)(赤色)の下着を用いているなど、火桶と共に描かれた時期が冬であることがわかります。

これらはいずれも門弟たちからの贈り物と思われ、それらを常に愛用していた門弟たちを大切に思う親鸞聖人のお気持ちの表れた御影であります。
記された上部の『浄土論』二段目の『仏説無量寿経』、下部の『正信偈』の讃銘はいずれも浄土真宗、親鸞聖人の教えの中心となるもので、親鸞聖人自らのご直筆であり、お慶びの御文であることがわかります。

ぜひ、ご参詣いただき間近にご高覧下さい。