今月の法話  8月

 永 六輔さんのこと
 
 
草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが7月7日亡くなられました。享年83歳。

淨教寺でコーラス「コールピュアランド」の指導をして下さっている荒井敦子先生の師匠でもあります。荒井先生のお蔭で、奈良文化会館での「まつぼっくり少年少女合唱団30周年記念コンサート」や大和郡山城ホールでの「大和郡山市制60周年の記念コンサート」でもご一緒に出演させていただくことができました。また、そのご縁で平成24年6月3日に淨教寺にも立ち寄っていただき、淨教寺の歴史やアーネスト・フェノロサ氏が「奈良の諸君に告ぐ!」との講演をされたことなど、興味深くお話をお聴きくださいました。良き思い出です。

コールピュアランドの中で、荒井先生から「永六輔さんの『明日咲くつぼみに』という素晴らしい歌がありますので、手話も付けて練習しましょう。」と、とってもあたたかい歌を教えてもらいました。ここに紹介いたします。

明日(あした)咲くつぼみに  作詞 永六輔  作曲 久米大作

   思い出の ふるさと  思い出の 人々
   明日咲くつぼみに   今日散る花びらよ
   思い出の 笑顔よ   思い出の 涙よ
   昨日 今日 明日   過去 現在 未来
   時は還らず 世は移りゆく  いつか別れの言葉 さようなら
   思い出の あの町   思い出の あの人
   明日咲くつぼみに   今日の生命(いのち)を



 花 蓮 (はなはす)


  大 白 蓮  ( だいびゃくれん)


また、たくさんの名言を残しておられますのでいくつか書き留めておきたいと思います。

*名医は一人では名医になりません。その医者を支えるチームがあって初めて名医になれるんです。
*子どもたちは身体検査をしますが、精神検査は受けていません。ここは盲点です。
*子供を大切にするのと、子供におもねるのとは違います。
*高いつもりで低いのが教養、低いつもりで高いのが気位、深いつもりで浅いのが知識、厚いつもりで薄いのが人情、薄いつもりで厚いのが面皮(つらのかわ)。
*社会的役割を終えた人を老人といいます。現役なら百歳だって老人と言わない方がいいのです。
*(現代の教育では)早く答えを出すことが要求される。だから子供達は考えることをしなくなった。
*悪いことをしている奴の多くは、自分が悪いことしてるなんて思ってません。だから、悪いことをしている奴が多いんですよ。
*人間の両手はそろえると器にもなるんですね。これは人間だけでしょうね。
*死者のこと、弔いますよね。そんなことする動物は人間だけだそうですよ。だったらきちんと弔わなきゃね。
*アルツハイマーとか痴呆症という言葉は使いません。私どもの田舎では昔から「二度わらし」といいます。また、赤ちゃんに戻ったという意味です。
*いじめた子が悪い子で、いじめられた子が良い子ってどうしてわかるんだ。良い子がいじめて、悪い子がいじめられている場合だってあるんだぞ。

また、永さんは、東京、元浅草の浄土真宗、最尊寺に生まれられました。そんなご縁で、小さい時から「正信偈」には親しんでおられ、お父様からも親鸞さまのお話を聞かれていたようです。そんな中で芸名を仏教にちなんだ名前を付けられたようです。

芸名の由来は、 六は仏教にゆかりがある。六地蔵、六文銭、六波羅蜜、南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏は六文字。六字のお名号。だから六輔だそうです。


こんな詩も書いておられます。

   
生きているということは  誰かに借りをつくること
   生きていくということは  その借りを返してゆくこと
   誰かに借りたら  誰かに返そう
   誰かにそうして貰ったように  誰かにそうしてあげよう

ぜひ皆さんも、コーラス「コールピュアランド」(毎月、第4水曜日午後1時30分、本堂)にて、仏教讃歌を中心に、永六輔さんをはじめ数々の名曲、素晴らしいわらべうた等を歌って、親鸞聖人のおこころに近づいて下さい。お待ちしています。

8月の「法雷カレンダー」の法語

  釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)は慈悲(じひ)の父母(ぶも)
   種々(しゅじゅ)に善巧(ぜんぎょう)方便(ほうべん)し
     われらが無上(むじょう)の信心(しんじん)を
       発起(ほっき)せしめたまひけり


お釈迦様と阿弥陀如来は、お慈悲においてのお父さまであり、お母さまであります。 真実へ導くために様々な巧みな手立てをなされ、 私たちにこの上もないまことの信心を、 起こさせてくださったのであります。
日常の出来事のすべてが、よろこびも悲しみも、つらい困難な出来事も、やさしい出会いも人生に無駄なことはないのでしょう。すべての出来事が自分への学びであり、阿弥陀さまからのご催促であると受け止めさせていただくことによって、阿弥陀如来の本願力を感じさせていただくことができるのです。
稲垣瑞剱先生のおうたに、
「幸福来らば敵と思え、苦しみ来らば惰眠(だみん)を覚(さ)ます他力(たりき)大行(だいぎょう)の催促なりと思うべしとあります。今月の和讃と合わせて味わいたいものです。



       本堂と百日紅(さるすべり)