2022年(令和4年) 4月 法話

 お釈迦さまの誕生  



             お釈迦様 誕生仏


四月八日はお釈迦様のお誕生日、灌仏会(かんぶつえ)(花まつり)法要が各地で開催されます。花御堂(はなみどう)にお釈迦様の誕生仏をご安置して、甘茶を灌(そそ)いでお祝いいたします。(写真)このお姿は、お生まれになられて七歩あゆまれて天と地を指差して「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)(天の上にも天の下にもただわれ一人尊きものである)」と述べられ、天の神々が甘露(かんろ)の法雨(ほうう)をそそいで祝福されたことに因みます。



    摩耶夫人像  「古寺行こう 法隆寺」(小学館)より  


上の写真のお姿は、お釈迦様がお母様であるマーヤ夫人からご誕生される瞬間のものです。この度、小学館から創刊された「古寺行こう」第1号「法隆寺」の最終ページに「古仏+1」という西山厚先生(半蔵門ミュージアム館長)のコーナーがあります。そこで取り上げられた「摩耶(まや)夫人像(ぶにんぞう)」です。

その解説に
「お釈迦さまは、お母さんの右の脇腹から生まれたという。
出産が近づいた、摩耶(まや)夫人(ぶにん)が郷里へ向かう途中、ルンビニーの園で、花を手折ろうと右手を上げたときに、お釈迦さまは生まれた。
私はこれを普通ではないひどい難産だったと解釈している。生まれた赤ちゃんは元気だったが、摩耶夫人は7日して亡くなった。
(中略)右手を上げた摩耶夫人の袖口から、お釈迦さまが合掌しながら上半身を出している。
お釈迦さまは右脇腹から生まれたものの、衣に阻まれて外に出られない。なんとか這いずってようやく袖口から顔を出したという場面である。」と綴られている。



        しだれ桜のきれいなつぼみ



       ヤエベニシダレ 開花 (3月30日


「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)」と述べられ続いて「三界(さんがい)皆苦(かいく) 我当安之(がとうあんし)(世界は苦しみに満ちている。私はそれを穏やかにする)」と述べられたと言われています。

お釈迦様出産の7日後にお母様である摩耶(まや)夫人(ぶにん)は亡くなられ、その後、妹のマハー・プラジャパティーに養育されたそうです。ですからお釈迦様はお母様をご存知ありません。西山先生はそのことが後のお釈迦様が出家されていく大きな動機となっていったのではないかと語られます。
すなわち「私(お釈迦様)が生まれて来なければお母様は死ななくてよかったのではないか?いのちとはいったいどうとらえたらよいのか?生まれるとは?生きるとは?死ぬとは?」ということが大きな疑問としてのしかかりました。物思いの日々を過ごされ、29歳の出家と続いていきます。



      涅槃図 (右上 雲上に 摩耶夫人 一向)


35歳でのお悟りの後、80歳でなくなられるまでの45年間の伝道の日々を讃えるようにお釈迦様の最後の涅槃図(ねはんず)には右上に雲に乗ったお母様・摩耶夫人がお迎えに来られたお姿が描かれています。
常に天上界からお釈迦様のご活躍を見護っておられたことでしょう。
私たちも先人の方々に見護られている世界があることを心にあたためながら日々を過ごしたいものです。
4月、新しいスタートの時期、花まつり(灌仏会(かんぶつえ))を契機に、一人ひとりの仏縁を見つめ、問い直していただければ幸いです。



            イワヤツデ



           カラスノエンドウにアリ



              スノーフレーク