2022年(令和4年) 10月 法話


         彼 岸 花
            



         ヒヨドリソウにアオスジアゲハ

親鸞聖人の三哉(さんさい) 慶(よろこ)ばしいかな 

親鸞聖人は、主著『教行信証』の中で、深い思いをこめてつづられた三つの言葉があります。
『誠(じょう)哉(さい)(誠なるかな)、慶(きょう)哉(さい)(慶ばしいかな)、悲(ひ)哉(さい)(悲しきかな)』がそれです。

今月は、慶(きょう)哉(さい)(慶ばしいかな)についてあじわってみたいと思います。
まず、原文と現代語訳をお示しします。

ここに愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞(しんらん)、慶(よろこ)ばしいかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典(しょうてん)、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈(ししゃく)に、遇(あ)ひがたくしていま遇(あ)ふことを得(え)たり、聞(き)きがたくしてすでに聞(き)くことを得(え)たり。真宗(しんしゅう)の教(きょう)行証(ぎょうしょう)を敬信(きょうしん)して、ことに如来(にょらい)の恩(おん)徳(どく)の深(ふか)きことを知(し)んぬ。ここをもつて聞(き)くところを慶(よろこ)び、獲(う)るところを嘆(たん)ずるなりと。(『教行信証』総序の文)

現代語訳:ここに愚禿釈の親鷲は、まことに慶ばしいことに、遇いがたいインド・西域(さいいき)の聖典をはじめ、中国・日本の祖師たちの御釈にいま遇わせていただくことができ、聞きがたい教えをすでに聞かせていただくことができました。これによって浄土真宗の教行証のおみのりを敬い信じ、ことに如来の恩徳の深いことを知らせていただきました。そこで、聞かせていただいたおみのりをこころから慶び、わが身に獲させていただいている教えをたたえさせていただくために、この書(教行信証)を著すのです。

生まれがたい人間に生まれさせていただき、出遇いがたい仏法(お釈迦様の教え)に出遇わせていただいたよろこび。自ら阿弥陀仏の本願に身をゆだね、浄土往生を願い、阿弥陀仏の救いの特徴を独自に発揮された七高僧の著作に出遇われた感動。そのほかの多くの高僧方の書物によって阿弥陀仏の本願力の救いの間違いないことを確信された歴定、よろこびを後世に伝えるべく書かれたものが『教行信証』です。
今から850年前、平安末期(1173年)にお生まれになり源平の争乱、養和の飢饉等の自然災害が原因となって京のまち・加茂川には4万人余りの遺体が並べられたといわれている惨状を目の当たりにされた親鸞聖人にとって「生死(しょうじ)出(い)ずべき道」(何のために生まれ、何のために生き、死んだらどうなるのか?)の問題が最大のものでした。9歳で出家得度され、20年間の比叡山での厳しいご修行の後、聖徳太子様のご示現を受けて法然聖人に出遇い、生涯の師匠として6年間ひざを交えて「お念仏ひとつ」の道に導いていただきました。その中で七高僧と仰ぐ方々の導きによって阿弥陀仏のご本願(救いの道)に出遇えた感動をここに記されています。

慶(よろこ)ばしいかな、心(こころ)を弘(ぐ)誓(ぜい)の仏地(ぶつぢ)に樹(た)て、念(おもい)を難思(なんじ)の法(ほう)海(かい)に流(なが)す。深(ふか)く如来(にょらい)の矜哀(こうあい)を知(し)りて、まことに師(し)教(きょう)の恩(おん)厚(こう)を仰(あお)ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至(いた)り、至(し)孝(こう)いよいよ重(おも)し。(『教行信証』化身土巻)

現代語訳:まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す。深く如来の慈悲のおこころを知り、まことに師の厚いご恩を仰ぐ。喜びの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく。

 「心を弘誓の仏地に樹て」の「樹」を「たて」と読みます。「植樹(しょくじゅ)祭(さい)」という言葉があります。「植木(しょくぼく)祭(さい)」とは言いません。今ある場所から別の場所に樹木を植え替えるという意味です。現代語訳には「心を本願の大地にうちたて」とあります。「われわれの現在の煩悩まみれの心が、阿弥陀仏のお慈悲いっぱいの本願の大地に移し変えられる」ということを言い表しています。

また、「念を難思の法海に流す」とは、親鸞聖人が仰る「欲多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむ」そのような「思い」すなわち「念」です。その「念・思い」を「難思の法海に流す」とは、海はきれいな川の水も、汚れた川の水もどのような川の水でも拒否することなく受け入れていきます。そして同じ塩味の海水に包み込んでいきます。そこを「不可思議の大海に流す」と現代語訳されています。

そのような、万善(まんぜん)、万(まん)行(ぎょう)、万德(まんどく)の兼ね備わった、量り知れない功徳の阿弥陀様のお慈悲を知らされるにつけて、七高僧様はじめ諸師方、ことに恩師、法然聖人のご恩を仰ぐ時に「喜びの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく」のであると、感動のお言葉を持って『教行信証』をしめくくられます。

私たちも、よき導(みちび)き(善(ぜん)知識(ぢしき)・師匠)に出遇い真実の教えを授けていただくことが大切です。稲垣瑞劔(ずいけん)先生は、「私は38歳の時、桂(かつら)利劔(りけん)先生に師事し、昭和19年4月25日、先生御往生まで21年間、格別の御薫陶にあずかり、真宗学を研鑽することが出来たことは、万劫(まんごう)にも遇いがたい最大の幸(さいわい)であった。悪い師匠に就けば一生の不作、良い師匠にめぐり遇うたら一生の豊作である。」と恩師、桂利劔先生に出遇われたよろこびを記しておられます。



            アザミにツマグロヒョウモン(♀)


              ホシミスジ