3日目 2月9日(月)晴れ (ラージギル→ナーランダ大学→ブッダガヤ)
05:00 起床。日本へ電話する。日本時間の午前8時30分。お参りの打ち合わせ中で父が電話口に出てくれたので、「70歳おめでとうございます。」を伝え、昨日の霊鷲山(りょうじゅせん)の夕日のすばらしかったこと、みな元気であることを伝える。父も12年前の光景を思い出して感慨無量の様子。喜んでくれました。松田院代とも話してもらう。荷物整理。
06:50 ホテルの窓からご来光。美しい日の出です。
07:15 朝食。和食(メニュー おかゆ、切干大根、ほうれん草のおひたし、玉子焼き、のり、味噌汁、漬物)おいしかった。
07:40 チェックアウト。
07:50 ホテルの裏庭で「七葉窟(しちようくつ)」のある山を遠望しながら説明を聞く。(お釈迦様涅槃後、説法の確認作業が500人のお弟子たちによってなされた場所。それを第一結集(だいいちけつじゅう)といいます。これが元になってお経が出来ていきます。)
08:00 ホテル出発。
08:10 竹林精舎 到着。沐浴池と竹林を入れて記念写真。ここでも物売りが激しい販売競争を繰り広げてくれました。
08:25 出発。
08:45 ナーランダ仏教大学跡 到着。きれいな参道があり、両脇にはアショーカの木の並木があり、大きな菩提樹の木もあってすばらしい緑が出迎えてくれました。かの玄奘三蔵法師が学ばれた場所です。その参道を通り抜けると、オレンジ色のレンガ造りの遺跡跡が目に入りました。紀元3世紀、5世紀、7世紀と上に増築されていった形跡がレンガのわずかな色の違いや形の違いによって確認されました。僧院跡、講堂跡、食堂跡、瞑想室跡、などを見た後、あの写真で有名な大きなスツウーパ跡を見学しました。12年前はこのスツウーパの上まで登れたそうですが、今は遺跡保存のため登れなくなったそうです。(写真)
09:55 出発。
10:10 王舎城牢獄跡 到着。目の前には昨日登った霊鷲山が見えます。この牢獄にビンビサーラ王とイダイケ夫人が幽閉されていたときにお釈迦様が霊鷲山からお説法に出向いてくれたという場所です。この説法が「仏説観無量寿経」になりました。
10:35 王舎城 城壁跡を見学。ここにも先ほどの物売りが出現してしきりに数珠を売り込んでいました。牛の糞を薄い皿状にして岩場に張って乾燥させてました。これが燃料になるそうです。バスの中からも家の塀一面にはり付けてある光景がいたるところで見受けられました。においは臭くて困るということはなかったです。草食だからでしょうか?
10:45 出発。
11:40 トイレ休憩。(野外)
13:00 ブッダガヤ スジャータホテル 到着。昼食(バイキング 各種カレー(豆、野菜、チキン)ナン、焼きそば、果物など)
13:30から14:30 各自部屋で休憩。
14:30 ホテル出発。尼蓮禅河(にれんぜんが)へ出発。尼蓮禅河に架かる橋の上から川を眺める。お釈迦様はこの川で修行で疲れた体を清められ、村娘のスジャータのささげる乳粥によって体力を回復され、菩提樹の下に座られてお悟りを開かれたのです。乾季のため水が非常に少ないが牛が群れをなして水浴びをしている風景がのどかでほっとします。遥か彼方に岩山がそびえて見えるのがお釈迦様がお悟りを開かれる前に修行をしていた前正覚山(ぜんしょうがくざん)でとても形のいい山です。橋を渡って村の中を行くとスツウーパ(スジャータの塔であろうと見られている)が発掘中で小高い山であったのだがレンガのかけらなどが見え隠れしていたそうで掘ってみると大きな塔が出てきている最中で貴重な発掘現場を見ることが出来、また半分は山の状態だったので丘の上まで登ることが出来て最高でした。
15:30 ブッダガヤの大菩提寺の大塔へ参拝。入り口までの参道はたくさんの土産物の露店が所狭しと立ち並び、観光客目当てに物売りがマンツーマンで担当を決めて話しかけてきます。入り口で靴を脱ぎはだしになってお参りします。大塔の入り口は階段を20段くらい下に降りて行きます。これはイスラム教の攻撃から大塔を護るために53メートルある大塔を土で覆いかぶせて護った後、発掘したため現在の地面より入り口が下になったということです。お釈迦様の聖地を護るための先人の考えも及ばない苦労にただただ驚嘆するばかりでした。大塔の後ろ側に回ると大きな菩提樹の木がそびえその下にお悟りを開かれた「金剛法座」があります。しかし、現在は石柱で周囲を囲まれてその上にチベット僧が巻いたであろう仏旗で内部が見えない状態で金剛法座も隙間からかすかに見えるという現状でした。それもオウム真理教の浅原ショウコウがその場に座ってしまったことからこのような状態になってしまったということですから大変残念なことです。石柱の横に仏足石があり、仏像が出来る紀元1,2世紀ごろまではそれをブッダとみて礼拝していたそうです。
菩提樹の木の下、金剛法座横で「重誓偈」をお勤めしました。(写真)多くの人たちが同じ場所でそれぞれに瞑想したり、静かに経典を読んだり、礼拝(五体投地)をされている光景がそこここに見受けられました。チベット仏教の大法要が行われていてスピーカーから大音響で声明が流されていましたがこれもお釈迦様を慕う人々の集いと心強く耳にさせていただきました。大塔をぐるりと回るとアショカ王柱の基底部が残されその奥に蓮の池があり、その中にムチリンダ竜王に抱かれたお釈迦さまの姿が安置されてあります。(お悟りを開かれた後の瞑想中のお釈迦様を竜王が暴風雨から護られたということです。)大塔を背に記念写真を撮り大塔を後にしました。(写真)
16:30 日本寺へ参拝。広い境内です。本堂に案内されて皆さんからお預かりした写経をご本尊正面にご安置していただき、写経した「重誓偈」をお勤め。その間に全員焼香させていただきました。このお寺は日本仏教会の各宗派が協力して建てられたもので2年交代で各宗派の若い僧侶が護っておられます。現在は西山浄土宗の僧と真言宗の尼僧が護っておられ、境内地には無料の病院と保育園が併設され地域の人たちに喜ばれているそうです。本堂裏側の施設でお茶をいただき、たまたまインドに来ておられた責任者の東京の西山浄土宗 超長専院ご住職 正本乗光氏よりお話を聞きました。本願寺の光照前ご門主とは全日本保育連盟の関係でお親しくしていただき、また、ご門主とは遠藤義周先生との関係でお付き合いいただいたこと。そして自分の母が九州の浄土真宗本派から嫁いでいることなど。とても親しみを持ってお話くださいました。また、この施設を維持していくには皆さんからの浄財によらなければならないことも力説され支援体制も考えていかなければと思いました。以前宿泊施設として使っておられたという部屋も見せていただき、こういう環境があれば青年たちが心置きなく長期間この仏跡地で勉強できるなと思いました。そういう意味でも多くの若者たちに仏跡を巡ってほしいと思いました。
17:30 スジャヤータホテルに帰り休憩。
18:30 売店にて日本へのお土産を松田院代、M川院代と検討する。ここのホテルのオーナーはブッダガヤドリームの成功者で日本寺で日本語を学び、菩提樹の実の数珠を売って商売を始め、その後ホテル経営を手がけ現在では、京都三条にインド料理のお店も経営してるというやり手オーナーです。夕食をはさんでいろいろ見せてもらい「初転法輪」の木像と菩提樹の葉に描かれた仏陀の絵を持ち帰りました。また、大塔「金剛法座」横にあった「仏足足」を現地で彫ってもらい船便で送ってもらうことにしました。明朝のベナレス行きの列車の時間が早くなったということで荷物整理に部屋に戻りました。
23:00 就寝。