さきこ

今月の法話 2007年 4月



* やさしい おかあさま 

わが子への虐待やいじめなど想像を絶するような事件が毎日のように報道され、耳を疑いたくなります。
報道も考えてもらい、このような残酷な事件や事故の報道は特定チャンネルでしか見られないようにして、
普段子供たちが見るようなニュースには「小さな親切運動」「私の感動した今日の出来事」などの内容を放映していただきたいものです。
そして、絵本の読み聞かせや童謡を歌ってあげるということがとても大切なことと思います。
彼岸の法話に寺沢忍先生が母の思い出として「やさしいおかあさま」という童謡のお話をしてくださいました。

親鸞聖人も阿弥陀様を讃えるたくさんのうたを作っておられます。ぜひ声に出してあじわってみてください。


やさしい おかあさま

わたしがおねむに なったとき 
やさしくねんねん こもりうた
うたってねかせて くださった
ほんとにやさしい おかあさま

夏はねびえを せぬように
冬はおかぜを ひかぬよう
おふとんなおして くださった
ほんとにやさしい おかあさま

わたしがおおきく なったなら
ご恩をお返し いたします
それまでたっしゃで まっててね
ほんとにやさしい おかあさま

       (作詞 稲穂 雅巳 作曲 海沼 実)


親鸞聖人のおうた(和讃)

釈迦弥陀は慈悲の父母(ぶも)
種々(しゅじゅ)に善巧(ぜんぎょう)方便し
われらが無上の信心を
発起(ほっき)せしめたまいけり

(意味)
  お釈迦様、阿弥陀様は慈悲のお父様でありお母様です。
  いろいろな手立てを講じて
  私の身の上に、尊いこの上もない信心のこころを
  起さしめてくださいます。


無明長夜(みみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死(しょうじ)大海(だいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
 (意味)
  阿弥陀様の慈悲のはたらきは、真っ暗闇の中に灯る尊い明かりです。
だから、私の智慧の眼が開かないと悲しむ必要はありません。
  また、人生の荒波高き大海を渡らせてくださる大きな船であります。
だから、罪、煩悩を捨て去ることが出来ないと嘆く必要もありません。
 

願力無窮(むぐう)にましませば
罪業深重(ざいごうじんじゅう)も重からず
仏智無辺にましませば
散乱放逸(ほういつ)もすてられず
 (意味)
  阿弥陀さまの本願力のはたらきには、限界がありませんから、
どんなに罪の深いものでも妨げになりません。
  また、仏さまの智慧はほとりなく、広いものですから、こころが散り乱れ、
悪行をやめられないものも、見捨てられることなく、
必ず救い取って下さいます。
 


「法のたより」先月号で、「無財の七施」のことを紹介しました。
その中に、眼施、和顔施という項目がありました。優しいまなざしで、優しい笑顔で微笑みかけることの尊さ、大切さをお釈迦様は私たちに教えてくださいました。
ここに紹介する詩は、ノートルダム清心女子大学学長の渡辺和子さんが『美しい人に』という本の中で紹介しておられたものです。
同じく「法のたより」先月号での「泥かぶら」の少女もこのような気持ちになっていったのでしょう。
「不愉快になる代わりに、あなたのほうからほほえみかけてごらんなさい」、なかなか出来ないことですが、今日から出来る「和顔施」を心がけたいものです。

「ほほえみ」

ほほえみは、
お金を払う必要のない安いものだが、
相手にとっては非常な価値を持つ
ほほえまれた者を豊かにしながら
ほほえんだ人は何も失わない
瞬間的に消えるが、
記憶には永久にとどまる
お金があっても、
ほほえみなしには貧しく、
貧しくても、
ほほえみのある家は豊かだ
ほほえみは、
家庭に平和を生み出し、
社会を明るく善意に満ちたものにし、
二人の間に友情をはぐくむ
疲れた者には休息を与え、
失望する者には光となり、
いろいろな心配に思い病んでいる人には
解毒剤の役割を果たす
しかも買うことができないもの
頼んで得られないもの
借りられもしない代わりに 盗まれないもの
もし、あなたが誰かに
期待したほほえみが得られないなら、
不愉快になる代わりに、あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れた人ほど、
それを必要としている人はいないのだから