2010年 6月 今月の法話

*阿弥陀さまからのサイン
 



  淨教寺  ご本尊  阿弥陀如来立像


貴島信行先生のお話で、面白い川柳を教えていただきました。
「人を切る 舌がこんなに やわらかい」
言葉の大切さ。
ひと言の言葉で、人を生かすことも、殺すこともできる言葉の大切さをお話しいただきました。
南無阿弥陀仏の文字になって、称えやすく、保ちやすき言葉となって下さった慈悲の仏さま。阿弥陀さまがありがたいです。

数日後、子ども会がありましたので、子どもたちにも聞いてみました。
「みんなが、お家や学校でうれしかった言葉、悲しかった言葉を教えてくれる?」
小学校3年生が多かったのですが、少し紹介します。
〈うれしかったこと〉
①先生にほめてもらった。
②友だちにありがとうと言ってもらった。
③となりの席の子に教科書を貸して、ありがとうって言われた。
④消しゴムを忘れたときに貸してくれた。
⑤おとうさんの手伝いをしてありがとうと言われた。

〈かなしかったこと〉
①弟をしかったら逆ギレされ、けられた。
②友だちにおはようと言ったのに、あいさつしてもらえなかった。
③友だちに話しかけたのに気づいてくれなかった。
④弟にひらがなを教えたのにありがとうと言ってもらえなかった。
⑤トイレそうじでトイレのドアで足をはさんだ。

いろんな意見が出て興味深く聞かせてもらいました。
大人も子供も良く似ているなと思いました。
うれしかったことは、「ありがとう」と感謝されること、
悲しかったことは、無視されること、
に集約されるような気がします。

阿弥陀さまのお姿は、いつも私を真向きに見つめて下さり、ひと時もお休みなく立ちつづけて、右手で「心配することはないよ。」左手で「必ず、あなたを護り、抱き取っていますよ。」とサインを送り続けて下さっています。
そのお姿のこころが、南無阿弥陀仏(必ず救う、われにまかせよ)の言葉の仏さまとなって私のお念仏となってあらわれ出て下さいます。
誰が見ていなくても、忘れることなく、この阿弥陀さまは私をつねに心配して下さっています。「心配することはないよ、あなたをいつでも、どこでも護り、抱き取っているから、あなたのできる精一杯のことをさせていただきなさい。」と姿で、南無阿弥陀仏のお名号となって私に働きかけて下さっています。
その働きかけに「ありがとうございます。」と南無阿弥陀仏でお返事させていただいたらよいのです。
西本願寺第20代ご門主の広如上人は
「木画の尊像 これを拝すること 真のごとくせよ。」という礼仏恭敬のこころを教えて下さいます。
木に彫られた仏さま、絵に描かれた仏さまであっても、いま現にはたらいて下さっている仏さまとお敬いして礼拝することが大切ですよ、とおっしゃってくださいます。
心して味わいたい言葉です。


淨教寺第24世島田義昭の出里、奈良県高市郡兵庫「教恩寺」の住職である
やなせななさんのアルバムと本が出版されました。ご視聴下さい。


河北新報ホームページの Café Vita 2010年2月12日の記事をななちゃんのお父様さまより教えていただきましたので転載してご紹介させていただきます。記事中の(註)はお父様の追記です。)

* やなせななさんの歌を聴く 
11日、仙台のホテル・モントレで「自殺対策 悲しみの受容」というシンポジウムがありました。市民ボランティアの立場から自殺予防や遺族の分かち合いの場づくりをしている「仙台グリーフケア研究会」が企画し、宗教者に何ができるか?をテーマに各地の寺の僧侶や牧師さんが、それぞれの試みを語りました。そこで、歌を聴きました。

 やなせななさんをご存知でしょうか。私は友人からアルバムを紹介され、この日、初めてご本人を知りました。奈良の尼さん(髪の長い尼さんです)で、34歳のシンガーソングライター。実家の寺を手伝いながら、「あなたの寺で歌います」という出前コンサートで全国を旅しているそうです。

 清楚な美しさに、おっとりした春風のような奈良言葉。音楽が流れると、その歌声ははかなげで、しなやかに、語りかけるように響きます。
 声と曲の雰囲気は辛島美登里さんを思い出しましたが、紡がれる詩の言葉一つ一つが、黄昏どきのように温かく切なく優しく、まるで懐かしい人の記憶を掘り起こすかのように、心に届きます。

 「君はお空になりました さよならも言わないで」 「君にもう一度会いたくて 習い始めたピアノ」 「君が生きた日々 たどり 触れる想い出は あたたかい」
 (註)“あおぞらピアノ”(JR尼崎事故の家族の気持ちを歌に) 

「さくらの花を見ると ただ泣けてくる あなたとお別れした 春がまた巡り来る」 「二度と会えないはずの あのひとが 坂道 振り向くと見送っていた きれいなさくらに姿を変えて」 「ああ あなたはずっと そばにいてくれたんだね」
 (註)(これは一番最近のアルバム『願い』の中の“さくら”の一節です。ななちゃんの友人のご主人が出勤途中、急性心不全でお亡くなりになり、その話を聞いて作った曲で、「やなせなな」のホームページにプロモーションビデオとともに聞くことができます。)

 こんな世界です。若くして子宮体がんを経験し、一生結婚できないのか? 一生子どもを持てないのか?といった悩み、治療後の更年期障害のような後遺症の苦しみ。死というものに初めて向き合い、また同じころに所属した音楽事務所の倒産があり、「どこかに行けたら どんなに楽か」と何度も思った。そして、お母さんから救われたといいます。
 それから「一人一人に、病はさずけられたもの。けっして外からは分からない。それを分かち合えたらどんなにいいか」と、ホスピスなどを訪ねて演奏するようになったそうです。

 彼女は、5年ほど前に友人を亡くした、という話を始めました。一流大を出て、一流企業に勤めて、でも、会社に行くのがいやになって。ある日、携帯を残して「ぴゅう」といなくなった。友人みんなで探したのですが、面会できたのは1年後。富士の樹海に瞑っていたそうです。
 大学時代はいつも仲間を笑わせたのに、メールでも心を開かないようになり、何を思っていたのが分からなくなった。後に両親を訪ねても、語られるのは悲しみばかり。残されたのは「なぜ?」の問い。
 その思いが、「トウヒコウ」という歌になりました(アルバム『遠い約束』)。
 たとえば、道でころんで、うずくまった人がいても、誰もがみんな追い越してゆく。ちょっと悲しそうな顔をする人も、自分じゃなくてよかった…と思っている。行方知れずになった人のことも、その人を探す人のことも忘れたように、街はにぎわっている。
 わたしにできることは何だろう? それは、「君の残した明日を生きる」。その言葉が見つかるまで、何カ月もかかったそうです。

 やなせさんの歌がいいな、と思うのは、分からないことは分からないままでも、また、他者にはできないことがあると知っても、人が悲しみ苦しみを背負って生きたものを、ありのままに認め、受け容れようとするところです。見つからない言葉を探したように、その人と一緒に歩いてみよう、生きてみようとするところです。

 うずくまる人がいたら、傍らに一緒に立ち止まってみる。
 その経験を、私は、娘が小学五年生で不登校になった時に知りました。大切なことは、いつも一緒にいること。そう知るまでにまた長い時間は掛かったわけですが、その時間が、互いの息遣いや、なにが好きで嫌いなのかということや、ほっと安心できる場所が何よりも大切なんだ、ということを教えてくれました。つながるものが見つかり、ゆっくり心が休まれば、また人は動き始めたくなります。その時まで、こちらものんびり、信じて待ってみることも。
 やなせさんの歌、ぜひ聴いてみてください。