今月の法話      平成30年 6月

「祭りのあと」 上映会  

2018年7月14日(土)13:30より 淨教寺 本堂にて上映。


「祭りのあと」監督・演出 渡辺和徳、脚本・企画 やなせなな
出演 大塚まさじ、島田和香子、広瀬美砂、高野愛、小川智之

2007年リリースのセカンドアルバム『遠い約束』に収録された「祭りのあと」この楽曲を元に、やなせななさんがショートドラマの台本を書いたのは2009年のことでした。当時は映像化するチャンスに恵まれず、台本は長らく眠っていたのですが、このたび、様々な出会いとご縁が整い、やなせななさんの故郷である奈良県高取町を舞台に、8年越しの夢であった短編映画が制作されました。
全編オリジナル曲で彩るのは、妻を亡くした老年男性がその悲しみと向き合い、前を向いて生きるまでを描く物語です。




              やなせ なな さん




                                    春雄 と メグミ


*あらすじ

春雄(大塚まさじ)は定年退職して久しい独り暮らしの高齢者。1年前に妻・恵子(広瀬美砂)を病気で亡くして以来、周囲の心配をよそに、無気力な日々を送っていた。
そんな春雄の前に、突然メグミ(島田和香子)と名乗る女学生が現れる。見ず知らずの不思議な少女に、それまでの怠惰な暮らしぶりを叱られ、諭される春雄。突然の出会いに戸惑い、最初は反感を持つものの、少女の無邪気さや優しさに触れ、閉ざされていた心が少しずつ明るさを取り戻してゆく。
日を追うごとに春雄と打ち解けたメグミは、ある日「神楽をいっしょに見たい」と言い出した。神楽舞、それは亡き妻・恵子が病床で「死ぬ前にもう一度だけ見たい」と切望しながらも叶わなかった、地元の夏祭りで演じられるものだった。メグミのことばに隠された“真実”とは…
たとえ二度と会えなくても、あなたはそばにいてくれる―
愛する者の死の悲しみ。その先にある、いのちのぬくもりを描く感動の短編。
ぜひ、ご覧ください。



          ヒペリカム


         ムラサキカタバミ


親鸞聖人のご和讃に、次のものがあります。

安楽(あんらく)浄土(じょうど)にいたるひと   五濁(ごじょく)悪世(あくせ)にかへりては
釈迦牟尼仏しゃかむに(ぶつ)のごとくにて    利益(りやく)衆生(しゅじょう)はきはもなし

(意味:阿弥陀仏の浄土に往生した人は、 さまざまな濁りと悪に満ちたこの世に還り来て、 お釈迦さまと同じようにどこまでもすべてのものを救うのである。)

釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)は慈悲(じひ)の父母(ぶも)   種々(しゅじゅ)に善巧(ぜんぎょう)方便(ほうべん)し
われらが無上(むじょう)の信心(しんじん)を     発起(ほっき)せしめたまひけり


(意味:お釈迦さまと阿弥陀さまは慈悲深い父であり、母である。 巧みな手だてをさまざまに施し、 わたしたちにこの上ない真実の信心をおこさせてくださった。)

今私たちが、お墓参りをし、法事を勤めているその一つ一つのいとなみが、先に旅立たれた方を縁として、お釈迦さまが、そして阿弥陀さまが尊い尊い仏縁を結んでくださっているのです。
親鸞聖人のみ教えに耳を傾けることによって、その事が明らかになっていきます。
『観無量寿経』の「王舎城の悲劇」といわれる場面設定での、アジャセ王子、お父様のビンビサーラ王、お母さまのイダイケ夫人、お釈迦様のいとこ、ダイバダッタ。
これらの方々を、親鸞聖人は真実なる教えに導いて下さる「権化(ごんけ)の仁(にん)」【権化(ごんけ)とは仮という意。仁(にん)は人に対する親愛を持つ人のこと。衆生を救うために、仮に人の相(すがた)をあらわされた聖者方(権者)という意味】と尊んでおられます。
私たちの周りにも、私が気付かずにいるだけで私を仏法に導いて下さる方々や、自然の動植物や、いろんな出来事が真実に導こうと形を変えて関わって下さっているのかもしれません。作家の吉川英治さんの「われ以外みな、わが師なり」という言葉が胸に響きます。



             スイレン


                      ナミアゲハ