2019年(令和元年)5月 法話



 新元号 「令 和」


         松の花


* 令 和 元 年
 


元号が「平成」から「令和」に改められました。
元号から浄土真宗のみ教えをあじわってみたいと思います。
「平成」は浄土真宗の教えに「平(○)生業成(○)(へいぜいごうじょう)」という言葉があります。「平生」とは、普段とか今、生きている間という意味です。「業成」とは、「業事成弁」のことで、他力の信心を得たその時に、浄土に生まれるべき業事(行い)が、成就(完成)するということです。
つまり、「臨終を待つまでもなく、平生に他力の信心を得たその時に浄土に生れること(往生)が確定すること。」を言います。
そのために、浄土真宗では「聞法」を強調します。「阿弥陀如来の本願力」を聞き開いていくということです。

その「阿弥陀如来の本願力」をこの度の元号である「令和」が端的に示しているとあじわうことが出来ます。すなわち、「令和」の「令」は、「命令」の「令」、「よい」という意味もあるようですが、ここでは、「本願招喚の勅命」の意味での「命令」の「令」として、また、「和」とは「やわらげる」と味わいます。

「本願招喚の勅命」とは、「汝一心正念にして 直ちに来れ 我能く汝を護らん」という阿弥陀如来のお慈悲の「よびごえ」です。
この「よびごえ」を「やわらげ、やさしくしめす」と、池山栄吉先生(大谷大学教授、ドイツ文学者)は、『佛と人』という本の中で、「念仏の心意気がよくこの言葉に現れている。今これを放浪の旅を続ける一人子の帰りを、故郷に待ちわびる母の心に引き合わすことを許されるならば、「直ちに来れ」を「スグキテオクレヨ」と訓じ、「一心正念にして」を「オネガイダカラ」と仮名を振っても、そう見当は外れていまいと思う」と書いておられます。「オネガイダカラ、スグキテオクレヨ」とわかりやすいことばにしてくださっておられます。

稲垣瑞剱先生は、
『「往生は、大悲招喚の勅命、「おねがいだから どうぞ そのまま 直ぐ来ておくれ」との「およびごえ」であり「およびごえ一つで往生するのである」、これが第18願の本当の意味であり、念仏往生の真髄である。
聞き間違いをしているものは「念仏往生というからは、念仏を称えなければ往生できぬ」と思うのである。これが早や本願の思召しを「疑って」いるのである。阿弥陀さまは注文しなさらぬのである。「阿弥陀様御自身のお力一つで助けよう」と思召されるのに、それに「お念仏を称えて行かなければ助けてもらえぬ」と思い、第18願を「念仏称えるものを助けるというご本願やないか」と解釈するのである。それが間違いである。
「念仏往生」というのは「南無阿弥陀仏往生」である。「名号往生」である。南無阿弥陀仏にそれだけの「力」がある。「威神力」「功徳力」があるのである。それを信ずるのである。それで「信心往生」というのである。
凡夫に注文したところで何が出来るか?「何も出来ぬ」いたずらものである。それで「注文は何もなし」である。まるまる阿弥陀様のお力で往生するのである。「どうしても、こうしても往生できぬもの」を「おねがいだから どうぞそのまま 直ぐ来ておくれ」「そのまま助ける」と呼んでくださるから参らせてもらうのである。
その「“およびごえ”がありがたい!」この「ありがとうございます」のこころが報恩感謝、仏恩報謝の「南無阿弥陀仏」のお念仏である。』
と、記しておられます。

新元号「令和」のもと、阿弥陀さまの「およびごえ」を日々新たにお聞かせいただきながら心豊かに過ごさせていただきましょう。



         グミの花


     立派なロウバイの実