2019年(令和元年) 8月 法話


臨終説法(勤行) 

「枕経」という言葉は、本来は「臨終勤行」といいます。亡くなられてご連絡をいただき枕経のおつとめをいたしますが、その時にご遺族に「枕経の本当の意味は、本来は「臨終勤行」と申します。故人が亡くなる前にお家のお仏壇にお参りして感謝のおつとめをするのですが、それがかないませんからお手次のお寺の住職がご本人の代わりにおつとめさせていただくものです。」と、お話致します。

考えてみれば、朝晩のお仏壇でのお勤めが臨終勤行なのでしょう。明日をも知れぬいのちと教えて下さるお釈迦さまの教えをいただく私たちは、朝起きたらまずはお仏壇に向かい「おかげさまで今日も元気に目覚めさせていただきました。」とお勤めをし、晩も「今日も一日無事に過ごさせていただきました。」とお念仏申す日暮らしが単調なようではありますが、非常に大切な日常であるように思います。

お盆を迎えるに際し、改めてお仏壇に向かいおつとめをすることの大切さを再認識していただきたいと思います。
お経は、『讃仏偈』『重誓偈』『正信偈』『仏説阿弥陀経』をお勤めいたしますが、親しみやすい所から『讃仏偈』をご家族ご一緒にお勤めして親しんでいっていただければありがたいです。


病床の方へ

「ガンの宣告を受けて、病床で臥せっております。」「抗がん剤治療を続けておりますが、副作用がきつくて苦しんでおります。」こんなお話をお聞きすることがあります。患者さんの所にすぐにでも行ってお話させていただければと思いますが、なかなか現実は難しい場合が多いです。そんな時、家族の方にお手紙をお渡しして患者さんもしくは家族の方に読んでいただき、枕元に置いていただくようにお願いしています。

<お手紙>例文

○○ ○○ 様

「 見てござる 護ってござる 待ってござる  稲垣 瑞剱 」

これは、阿弥陀様のおはたらきのことです。
阿弥陀様は私の目には見えませんが常に見てくださっており、護ってくださっており、お浄土にて待っていてくださるお方です。
眼に見えませんが、お仏壇のご本尊となり、南無阿弥陀仏のお念仏の声となって表れ出てくださり私たちに、そのおはたらきをお示しくださっておられます。
「往生(おうじょう)浄土(じょうど)」とは、私の人間の命が終わっても、南無阿弥陀仏に抱かれてお浄土に往きて生まれさせてもらういのちであることを往生浄土と示されます。
そして、「倶会(くえ)一処(いっしょ)」、「倶(とも)に一処(ひとところ)にて会(あ)う」人間の世界でお別れしてもまた出会う世界がお浄土ですよ。阿弥陀様が先に旅立たれた亡き方々と共に待っていてくださる世界です。「ただいま、今帰りました。」と言えば、「お帰り、よく帰ってきたね。待ってたよ。」と出迎えてくださる世界です。
「○○ ○○さん、ありがとうございました。ご苦労様でした。
あとは、心配することありませんよ。阿弥陀さまがご一緒ですから。先に旅立たれたみなさん(お父さま、お母さま)が一緒に護ってくださっていますから。おまかせするだけですよ。
心配要りませんよ。なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。
見て下さり、護って下さり、待って下さってますよ。」

「夜(よ)は暗し、道もわからぬその時に
阿弥陀如来が手を引いて、本願力は大きいでなぁ。」

「心配するな 心配するな
大悲の親(阿弥陀如来さま)が待っている(護っておる)」

「摂取光中(せっしゅこうちゅう) 弥陀の ふところ」

令和 ○年 ○月○日   淨教寺 住職 島田春樹 、 淨教寺 寺族一同