2020年(令和2年) 7月 法話

いのちの輝き 

毎日如何お過ごしでしょうか?
緊急事態宣言が解除されましたが、今まで通りの日常生活に戻るまで、まだまだ時間がかかりそうです。自粛ムードの続く中で「お寺にいけなくて寂しい。」と、お電話くださる方。「近くまで来ましたからお顔を見に寄りました。」と、訪ねてくださる方。
ありがとうございました。
7月から行事再開していきます。感染防止対策をとりながら安全にお参りいただけるように取り組んでいきます。「7月行事案内」をご覧いただき是非ご参詣ください。

中川静村先生作詞の仏教讃歌「生きる」の3番の歌詞に 

  あなかしこ みほとけと
  あなかしこ このわれと
  結ばるる このとうとさに
  涙ぐむ いのちの不思議

と、あります。
「あなかしこ」とは、「おそれ多く存じます」という意味で、「ああ、もったいないことです」との気持ちを表現しています。
生まれがたい人間に生まれさせていただき、出遇いがたき仏縁にめぐまれたことの尊さ。そして南無阿弥陀仏のお念仏とともに日暮させていただけることの有難さを「涙ぐむ いのちの不思議」と感動の涙の中でのお念仏の喜びを表明されています。

コロナ自粛で、お寺にいる時間が普段より多くなった中で、貴重ないのちの躍動の場面(アオスジアゲハの羽化の瞬間)に立ちあうことが出来ました。
また、今年は5年ぶりにツバメのヒナが育っています。お念仏の響く環境(境内)に身を置く動植物たちの仏縁にめぐまれることを念じながら日々を過ごさせていただいております。



  羽化したばかりの アオスジアゲハ


    羽を広げた アオスジアゲハ


コロナで中止になりました6月20日(土)定例法座のご講師:清岡隆文先生から
「ご法話」を頂戴しましたので、ここに掲載させていただきます。

「ご法話」 大阪、吹田市・大光寺前住職 清岡隆文先生 



           清岡 隆文先生


 長い鎖国という閉鎖体制から解放されて海外からの文物が流入してきた明治維新に、外来の言語も一気に入ってきたことでしょう。ただ当時は、それらの用語をそのまま取り入れるのではなくて、言葉においては、苦労をかさねて日本語の表現に直して普及をはかったのです。一方、現代は国際化、そして情報社会の流れの中で、外来語がそのままの表現で日常生活にまで直ちに入ってきています。インパクト(衝撃)、スキル(能力・技能)、インバウンド(外国人旅行者)、コンプライアンス(法令遵守)、レガシー(遺産)などにはついていけても、ダイバーシティー(多様性)、リテラシー(能力)、アジェンダ(行動計画)等々には目を白黒させるばかりです。古来、「言葉は生き物」といわれていますので時代とともに移り変わっていくのです。ただそのスピードが速すぎて悲鳴すら聴こえてきます。でもなんとかして追いつかなければ、疎外感がひろがります。

 先の維新期の西本願寺のご門主は第二十代広如上人です。この上人の『誡時衆偈』(かいじしゅうげ)という一文が残されています。これは時代とその時代の人々、とくに浄土真宗の門信徒にたいして示された内容です。激動の時代に翻弄(ほんろう)されることなく、生活するうえでの基本が十二句、それも対句の形式で述べられています。その最初の二句(原文は漢文)は「木画(もくが)の尊像(そんぞう)は、これを拝すること真のごとくせよ。一念の往生は、これを信じること実(じつ)のごとくせよ」とあります。お仏壇に安置されているご本尊、阿弥陀如来は多くは絵像であり、また木像であっても、単に絵や木と考えてはなりません。それらの像を通して、愚かな凡夫である私たちに真実のお救いのはたらきを示してくださっていると仰がせていただくのです。さらにそのおはたらきを疑いなく素直に受け取るとき、浄土に往生させていただくことが定まるといただくのです。

 さらに偈文のつぎの二句は「報恩の称名は、寤寐(ごび)に忘れることなかれ。謝徳の勤行は、晨昏(じんこん)に廃することなかれ」とあります。寤寐(ごび)とは、目がさめている時と眠っている時です。また晨昏(じんこん)は朝と晩のことです。そこで私たちが口にするお念仏は起きている時も、寝ている時も、いつもわたしとともにいてくださる阿弥陀如来にお礼を申すことであり、朝晩のお勤めもそれと同じおもいでさせていただくのです。とくに寤寐(ごび)と晨昏(じんこん)に私たちの行動の規範が示され、今も心がけることの大切さに気付かされます。したがって『誡時衆偈』のこれらの言葉は、維新当時の動揺する人々に発せられた警句と限定してはなりません。むしろ今を生きる私たちへのいましめであり、お互いに身を引きしめていく大切なおことばであります。

 二十年以上も経過していますが、かつて東大阪の市場で小さな化粧品店をしていた榎本栄一さんは青年期に入院した時に病院近くの書店で手にした宗教書がきっかけとなって浄土真宗の法話を御堂筋の別院まで聴聞に出かけるようになりました。これと前後して、良き師の指導を受けて詩作の腕をみがかれ、やがて詩集『群生(ぐんじょう)海(かい)』『煩悩(ぼんのう)林(りん)』を刊行されました。
高齢期においても重い病身でありながら、日常の暮らしに根ざした詩の創作をつづけ、直接的な表現はなくても、お念仏の喜びが伝わってきます。薬の副作用による難聴が残りましたが、気にすることなく次のように書いておられます。

〈ひとさまのいうこと 聞こえにくいので 私はむだ話を あまりせずにすむ〉

〈持病あるは ありがたし 持病あるゆえ 無理しようにも できないのが ありがたし〉

 現在、新型コロナウイルスの感染拡大で不安におびえる毎日です。そのなかでコロナと戦い征服する、との強い決意の表れのなかで「コロナ戦争」という言葉までとびかっています。私たち念仏者は安易に戦争という表現を使うべきではないでしょう。闘病生活と日ごろから口にしますが、最後は病気に負けて人生の幕を閉じることになりかねません。先の榎本さんの詩のこころを深く味わいたいものです。  (令和2年6月4日)



           大 白 蓮


  
            花 ハ ス


ユーチューブ (You Tube) 「浄教寺」 動画 配信

先月の「法のたより」でもお知らせしましたが、淨教寺での行事の様子を録画してユーチューブでも見られるように配信開始しました。内容は「おつとめ(お経)」と「境内の自然」が中心ですが、以下紹介いたしますので興味のあるページからご覧いただけたら幸いです。検索しやすいように「淨教寺の淨を浄(◎)」としています。

ユーチューブ(You Tube)で「奈良 三条 浄教寺」をチャンネル登録していただくと何時(いつ)でも見ていただけます。

「奈良 三条 浄教寺」で検索していただき

番組名は
「春の永代経法要 2020(令和2)年5月20日 大無量寿経」
「永代経法要 法話(住職)」
「浄教寺の自然 前庭」 ・ 「浄教寺の自然 中庭」
「浄教寺会館」、「浄教寺会館 永代経 2020(令和2)年6月8日観無量寿経」
「浄教寺の自然 初夏の庭」 ・ 「浄教寺の自然 いのちの輝き」
「奈良 三条 浄教寺 風景 1、2」
を選んでいただくとご覧になることができます。
今後、ライブ配信も計画していますので、楽しみにしていて下さい。
写真は、スマホの検索画面と動画の様子です。