2020年(令和2年) 8月 法話

かくれ念仏の里 熊本・人吉別院 
「令和2年 7月豪雨」
被災状況(7月28日現在)・救援金のお願い


7月4日の豪雨で、九州、本願寺佐賀教堂、熊本・本願寺人吉別院をはじめ、31ヶ寺が浸水被害を受け、74ヶ寺の門信徒の方々(死亡25名・行方不明3名)が被災されました。ここに被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。

「かくれ念仏の里」 人吉別院・球磨組(くまそ)
肥後国球磨地方を統治した相良(さがら)藩は、代々にわたり真宗の教えを禁じました。相良藩による念仏禁制(浄土真宗禁制)は360有余年もの間続けられました。明治に入りようやく解禁となり、その浄土真宗解禁第一号のお寺がここ「本願寺人吉別院」です。
この地の門徒たちは長い法難の時代を、密かに講を組織し、見張りを立てて聴聞にいそしむことで法義を護りました。これは「隠れ念仏」と呼ばれ、相良氏に遅れて同じく真宗を禁じた島津氏の統治する隣藩、薩摩藩をはじめとし、南九州一帯にその苦難の歴史が残されています。
別院が、球磨における真宗開教の根本道場としてこの地に輝かしく創建をみるまでの土壌には、不遇の時期にも信仰を護り通した念仏者たちの不屈の思いが、太く脈々と流れています。
(人吉別院H・P)

*救援金のお願い(救援金とは、①被災者への支援金、②被災寺院への見舞金(義捐金)を含みます)
①ゆうちょ銀行からの振込み
記号 17120   番号 01890891
名義 球磨組会計 (読み方 クマソカイケイ)
②もしくは 他・銀行からの振込み
銀行名 ゆうちょ銀行  
店名 七一八(ナナイチハチ)
預金種目 普通預金   
口座番号 0189089  名義 球磨組会計 (読み方 クマソカイケイ)


人吉別院には全国各地よりたくさんの参拝者が訪れます。中でも、五木寛之さんの『百寺巡礼』をきっかけに訪れる方が多いようです。
 この『百寺巡礼』は作家の五木寛之さんが全国各地の寺院を巡りながら、日本人の原風景・原点とは何か見つめ直した番組で、書籍化もされています。五木寛之さんによって選ばれた百寺のうちの一つがここ「本願寺人吉別院」です。
室町時代から360年余り、相良藩は一向宗(浄土真宗)を禁じました。しかし、信者は「隠れ門徒」となり、殉教者を出しながらも、信仰を護り続けました。五木寛之さんは「百寺巡礼」を通して、「隠れ念仏の里」に伝わる信仰を護り続けてこられた方々の物語を知って欲しいと切に願われています。
人吉別院の本堂には、そのような「隠れ念仏」に関する貴重な資料等を多数展示しています。
かくれ念仏と殉教者「山田村の伝助さん」
当時、念仏禁制は人間の心の自由を奪うという暴挙でした。厳重な取り締まりの中で、命をかけてお念仏を護り伝えられたのが伝助さんと御同行の「仏飯講」でした。
天明2年(1782)伝助さんは密かに京都の本願寺に参拝しその帰路密告により待ち伏せにあい獄門に処せられました。   伝助の篤実な人柄を惜しみ転宗を迫る役人に、
「ご親切は有難うございますが、この世に執着して御恩報謝のお念仏を止めようなどとは思いもよらぬことでございます。私の称名念仏は弥陀の御方便によるもので、私一存のはからいではございません。念仏を断ち仏像を焼いたところで内心の信心を打ち消すことはできません」
と、答え静かに獄門の刑に服されたそうです。
 尚、伝助という名は隠れ念仏の指導的役割を担った者が襲名したようで、この伝助さんと時代を異にして殉教した別の伝助さんもいらっしゃるようです。
 命をかけて浄土真宗の教えを伝えてくださった伝助さん達、その名は「阿弥陀さまの教えを伝え、人々の信仰を助けた」ことを意味しているようで、心に刻んでおくべき大切なお名前です。  (参考 人吉別院HP、長野・西敬寺HPより)