2021年(令和3年) 2月 法話

映像作家 保山(ほざん)耕一(こういち)さん 

経(きょう)教(ぎょう)はこれをたとうるに鏡(かがみ)のごとし。
しばしば読(よ)み、しばしば尋(たづ)ぬれば智慧(ちえ)を開(かい)発(ほつ)す。

この言葉は、親鸞聖人が尊敬された七高僧のお一人、中国の善導(ぜんどう)大師(だいし)『観経疏(かんぎょうしょ)』序分(じょぶん)義(ぎ)のお言葉です。
意味は、「お釈迦さまの説かれた教え「お経」は、譬えてみると「鏡」のようなものである。たびたび読み、たびたびひも解いたならば智慧が開かれていくことである。」
鏡は私の姿を映し出しますが、心の中までは映し出すことは出来ません。お経は私の心の状態を照らし出し、私のあり方を指し示してくれるお釈迦さまのお言葉です。「智慧」が開かれるとは、そのお言葉をくり返しくり返し読み、尋ねることによって「私は、どこから生まれ?生まれた意味?何をなすべきか?死んだらどうなるか(いのちの行く末)?」があきらかになっていくのです。

保山耕一さんの「映像詩」は、自然の風景、なにげない水の流れ、そこに浮かぶ花びら、落ち葉、等々、普段見ている景色の中に人生そのものが映し出されます。
まさにお釈迦さまのお経の映像化と受け止めてもいいと思います。そこに生かされていることの有り難さ、いのちへの慈しみのまなざしが私たちの心を潤してくれます。

ご縁あって、昨年10月21日「アサギマダラ」の撮影に来て下さいました。飛んでくるかどうか?わからない状態で、保山さんが来られるのを待っていたかのように時間を合わせて「アサギマダラ」はうれしそうに藤袴に飛来しました。そしてゆったりと約五時間、境内を楽しみながら飛び回って南の空へ旅立ちました。
そのときの様子を保山さんが「フェイスブック」に紹介していただいたものが次に紹介するものです。

ぜひみなさんも「保山耕一・映像詩」で検索していただいて、
「ユーチューブ」・「フェイスブック」ご覧ください。



   藤袴にとまる アサギマダラ(淨教寺)


          アサギマダラ(淨教寺)



「淨教寺(奈良市)にて」 2020年10月21日撮影

淨教寺は三条通沿いのお寺。
そこはJR奈良と近鉄奈良の中間あたりになる。
奈良では賑やかな場所にあるお寺。
そんな街中のお寺に旅する蝶のアサギマダラが飛来すると知り、撮影をお願いしたところ快く受け入れて下さった。
正直、驚きである。一昨年の春に植えられた藤袴にその秋からアサギマダラがやってくるようになった。
手入れの行き届いた庭にはアサギマダラだけではなく、たくさんの昆虫や鳥の姿があった。
淨教寺は街の中にあって自然の優しさやたくましさを感じられる癒しの場所である。
私は季節の風景を撮影しているが、撮影だけが目的では無い。
その風景の中には人の営みがあり、その風景を作り出している人の思いがある。そんな人に出会い、お話を聞くことが撮影と等しく楽しみである。どんな場所であっても、それは誰かにとって大切な場所なのである。
街の真ん中に植えられた藤袴に旅の途中でアサギマダラが飛来する。
その風景もまた、人の心が作り出した大切な一瞬、心の絶景である。
お寺の人にお話をおうかがいすると、アサギマダラに会いたくて藤袴を植えられたそうだ。
今、アサギマダラは南へと旅立ち、淨教寺にはその姿はない。
いい香りを漂わせて藤袴が秋の風に揺れている。
お寺の人は来年もアサギマダラを迎えるために、一年をかけて藤袴の手入れをする。そうして、心温まる季節の風景が来年も繰り返されるのである。
風景に癒されるということは、人の心に癒されているのである。
追 記
撮影で出会った人とのエピソードをまとめ、DVD付きの本を出したくなった。「奈良、時の雫」のすべての作品には物語がある。
DVDを販売して欲しいとのリクエストを頂くことがよくあるが、正直、あまり気が進まない。ネットに公開している映像をDVD化することにワクワクしないのだ。作業するだけ時間の無駄だと思う。
今は、上映会のように映像詩と物語はセットで伝えるべきだと思う様になった。
NHKで放送している「やまとの季節七十二候」も全く同じである。
映像だけではなく、その映像に込めた気持ちと撮影で出会った物語を添えて初めて成立すると思う。

保山耕一さん フェイスブック コメント(2020年10月28日投稿)より


2021年 1月30日(土) 淨教寺 本堂での上映会の様子



 解説中の保山耕一さん


   上映中の「アサギマダラ」


 生演奏 二胡 木塲さん(左)  中弦 牧野さん(右)