2021年(令和3年) 4月 法話

聖徳太子と親鸞聖人「三夢記」 

建長2年(1250)4月5日に親鸞聖人が末娘覚(かく)信(しん)尼(に)公(こう)に与えたとされる文書、通称「三夢記(さんむき)」が浄土真宗高田派本山・専修寺(せんじゅじ)(三重県一身田)に伝わっています。この文書に記された夢告とは、

① 建久2年(1191・親鸞聖人19歳)9月14日の磯長(しなが)聖徳太子廟(びょう)夢告(むこく)、
② 正治2年(1200・親鸞聖人28歳)12月28日の無動寺(むどうじ)大乗(だいじょう)院(いん)夢告(むこく)、
③ 建仁元年(1201・親鸞聖人29歳)4月5日の六角堂(ろっかくどう)夢告(むこく)
の三つです。
これらのうち、第三の六角堂夢告は、奥様の恵(え)信(しん)尼(に)公(こう)さまのお手紙にも取り上げられますし、お弟子の真仏(しんぶつ)上人の書き物(専修寺伝)にも記述が見られますので、ほぼ史実として定説化されています。第一の磯長聖徳太子廟夢告と第二の無動寺大乗院夢告は史実的な信憑性は低いようですが、六角堂夢告へと連なっていく親鸞聖人と聖徳太子との関連性を考えていく中で大変魅力的で示唆に富む内容であると思います。

第一の磯長聖徳太子廟夢告
『親鸞聖人正明伝(しょうみょうでん)』によれば、親鸞聖人は19歳の時、法隆寺で70日間「因(いん)明(みょう)(インド論理学)」を学んだあと、河内国磯長の聖徳太子のご廟へ参詣し、そこで次のような夢告を受けたと伝えられています。
 我三尊化塵沙界 (我(わ)が三尊(さんぞん)は塵沙(じんじゃ)界(かい)を化(け)す)
 日域大乗相応地 (日域(じちいき)は大乗(だいじょう)相応(そうおう)の地(ち)なり)
 諦聴諦聴我教令 (諦(あきらか)に聴(き)け諦(あきらか)に聴(き)け我が教令(きょうれい)を)
 汝命根応十余歳 (汝(なんじ)が命(みょう)根(こん)は応(まさ)に十余(じゅうよ)歳(さい)なるべし)
 命終速入清浄土 (命(いのち)終(お)わりて速(すみやか)に清(しょう)浄土(じょうど)に入(い)らん)
 善信善信真菩薩 (善(よ)く信(しん)ぜよ善く信ぜよ真(しん)の菩薩(ぼさつ)を)
現代語訳
「阿弥陀如来と観音・勢至菩薩が迷いに満ちた人間界を教化してくださる。日本は大乗仏教が弘まるにふさわしい土地である。諦に聴け諦に聴け、わたしが教えるところを。おまえの寿命はあと10余年しかない。しかし寿命が終われば直ちに弥陀の浄土に生まれるだろう。善く信ぜよ、善く信ぜよ、おまえが真に菩薩になるということを」という内容です。「和国の教主」と讃える聖徳太子が、夢の中で「あと10年のいのちである」と余命宣告したのです。親鸞聖人には衝撃的な夢だったことでしょう。

第二の無動寺大乗院夢告
親鸞聖人19歳の時、磯長の太子廟で「汝命根応十余歳 命終速入清浄土 」と夢告を受けてから、はや10年が経とうとしていました。予言された命終(みょうじゅう)の時が近づこうとしているのに、「速に清浄土に入らん 」という約束に対する確証も得られぬままでありました。『親鸞聖人正明伝』によると、追い詰められた聖人は、28歳の冬、延暦寺東塔の無動寺大乗院に21日間の参籠(さんろう)をします。すると、結願の前夜、如意(にょい)輪(りん)観音(かんのん)(職徳太子)より、「汝(なんじ)の所願(しょがん)まさに満足(まんぞく)せんとす。我(わ)が願(がん)もまた満(まん)足(ぞく)す」(現代語訳:おまえの後生の一大事、解決できる日は近いぞ。絶望せずに求め抜け。私の任務も終わろうとしている)という夢告(大乗院夢告)を受けられました。歓ばれた聖人は正月10日より、聖徳太子が建立された、如意輪観音を本尊とする六角堂への百日間の参籠を始められました。

第三の六角堂夢告
 95日目の寅(とら)の刻(こく)(午前4時)、救世観音が白蓮の花に端座して示現して、こう告げました。
「行者(ぎょうじゃ)宿報(しゅくほう)設女犯(せつにょぼん) 我成(がじょう)玉女(ぎょくにょ)身被犯(しんぴぼん) 
一生之間(いっしょうしけん)能(のう)荘厳(しょうごん) 臨終(りんじゅう)引導(いんどう)生(しょう)極楽(ごくらく)」
現代語訳「仏道に入って修行する者が前世からの報いで、たとい女性を妻とすることがあっても、わたしが玉のような女性の姿となって添い遂げましょう。そして一生の間わたしがその仏道者の身の回りを護り、臨終には導いて極楽へ生まれさせましょう。」
救世観音の顔立ちではあるものの白衣のうえに白い袈裟をまとっていて、これは聖徳太子に違いないと聖人は直感しました。太子はこの偈文をとなえ、「これはわたしの誓願であるから、一切の群生(ぐんじょう)(すべての生きとし生けるもの)に説き聞かせなさい」と聖人に命じ、聖人は「数千万の人々にこのお告げを聞かせなければならない」と思ったところで、夢から醒めたとあります。
参籠を百日間続けるうちに法然聖人の噂を耳にし、聴聞を重ねるうち、専修念仏を説く法然聖人のご法話に深く感銘し、ご自身の信仰の上で難行(なんぎょう)道(どう)をさしおいて易(い)行(ぎょう)道(どう)に入り、聖(しょう)道門(どうもん)を逃れて浄土門(じょうどもん)へと導かれつつあったなかで、「現世(げんせ)のすぐべき様(よう)は念仏の申されん様(よう)にすぐべし。(中略)ひじりで申されずば妻をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずばひじりにて申すべし」(『和語(わご)燈録(とうろく)』)とおっしゃる法然聖人のお言葉に、出家・在家を問うことなく万民が「生死(しょうじ)出(い)ずべき道」を超え救済されていく絶対他力の道を明らかにしていかれたのです。

毎日 声に出して、拝読いたしましょう。

「 金剛心(こんごうしん) 」 稲垣(いながき)瑞剱(ずいけん)先生

月(つき)にむら雲(ぐも)、花(はな)にはあらし、
とかく浮世(うきよ)はままならぬ。

無常(むじょう)火宅(かたく)の人生(じんせい)、
到(いた)るところ唯(た)だ愁嘆(しゅうたん)の声(こえ)のみを聞(き)く、
また何(なん)の楽(たの)しみをか求(もと)めん、大廈(たいか)高楼(こうろう)に坐(ざ)して、この世(よ)の栄華(えいが)を夢(ゆめ)みつつあるものは仏法(ぶっぽう)の楽(たの)しみを知(し)らず。

人(ひと)の情(なさ)けの薄衣(うすごろも)、浮世(うきよ)の風(かぜ)の身(み)にしみて
「あゝ人生(じんせい)は苦(く)なり」と悟(さと)った人(ひと)のみが仏法(ぶっぽう)の真価(しんか)を味(あじ)わい得(う)るのである。

無常(むじょう)迅速(じんそく)、生死(しょうじ)の事大(ことだい)なり
「世(よ)の無常(むじょう)さとりつくして春(はる)彼岸(ひがん)」

春(はる)の日(ひ)の夢(ゆめ)はしばしの草枕(くさまくら) 
早(は)や吹(ふ)き初(そ)むる秋(あき)の木枯(こが)らし

幸福(こうふく)来(きた)らば敵(てき)と思(おも)え、苦(くる)しみ来(きた)らば惰眠(だみん)を覚(さ)ます他力(たりき)大行(たいぎょう)の催促(さいそく)なりと思(おも)うべし。

「五濁(ごじょく)悪(あく)世(せ)のわれらこそ 金剛(こんごう)の信心(しんじん)ばかりにて
  ながく生死(しょうじ)をすてはてて 自然(じねん)の浄土(じょうど)にいたるなれ」

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