2021年(令和3年) 9月 法話

あ り が と う 



     鹿さんもソテツの下で休憩


     ブッドレアにクロウリハムシ


  吾郎桜にアブラゼミ(左)とツクツクホウシ(右)

 
ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった
教えてもらった答えは・・・・「あたりまえ」

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
「有難(ありがた)し」という意味だ

あることがむずかしい、まれである
めったにない事にめぐりあう。すなわち、奇跡ということだ。
奇跡の反対は「当然」とか「当たり前」

我々は毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。
歩けるのが あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが あたりまえ。
手足が動くのが あたりまえ。
毎朝目覚めるのが あたりまえ。
食事が出来るのが あたりまえ。息ができるのが あたりまえ。
友達といつも会えるのが あたりまえ。太陽が毎朝昇るのが あたりまえ。
うまれてきたのが あたりまえ。夫(妻)が毎日帰ってくるのが あたりまえ。
そして・・・生きているのが あたりまえ。

ある夫婦の話です。晩酌の時、いつも無口の夫が「ちょっとお酌してくれないか?」と、めずらしく妻に言った。
台所の片付けをしていた妻は、「今、忙しいから自分でやって」と答えた。夫は少し寂しそうだったが手酌で酒をついだ。
その2~3時間後、夫は急に倒れ、救急車で病院に運ばれ帰らぬ人となってしまった。
それから妻は、“なぜあのとき 夫にお酌をしてあげられなかったのか”と、ずっと悔やんだという。

あの時、何故もっと優しい言葉で、こぼれるような笑顔で、感謝の言葉で接することができなかったのか・・・・。

誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。
今日、誰かと出逢い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。
こんな当たり前だと思うことが本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」生きて、出逢うという奇跡の連続に
「ありがとう」を言わずにいられない。

日々、生きていることに、生かされていることに、感謝を忘れてはいけませんよね。
そして、目の前にいるもの、あるものに、できるだけ感謝の気持ちを伝えながら生きていきたいですよね。
「ありがとう」は奇跡の連続なのですから・・・。
              (動画「ありがとう」より)



       ノボタン


         キノコ


『礼讃文(らいさんもん)』(三帰依文(さんきえもん))には、

「人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受(う)く。仏法(ぶっぽう)聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)に向かって度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)に向かってかこの身を度(ど)せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)したてまつるべし。」とあります。

人間に生まれることは、当たり前でなくて、ありがたい(有ることの難しい)ことです。犬や猫やミミズに生まれるかもしれません。また、人間に生まれさせていただいて仏法(お釈迦様、親鸞聖人のみ教え)を聞かせていただくことも当たり前ではありません。このことを当然なことと思わずに、まれなことであると驚きをもって「仏・法・僧」の「三宝」を大切な依りどころとして生きていかなければもったいないことです。



           ヤツデの若葉


             タマスダレ