2022年(令和4年) 6月 法話

永代経とは 
 
5月19日(木)20日(金)と無事「春の永代経法要」をお勤めいたしました。あらためて「永代経」という意味について確認していきたいと思います。



      永代経法要 お内陣 お荘厳


①「永代読経」という意味
みなさまお一人、お一人が永代経法要で本堂に座り、お経を読んでご先祖のご恩を偲ぶ法要にお参りさせていただいていることは「当たり前」ではありません。あることが難しい「有難い事」なのです。ご自身の力でこの本堂まで足を運ばれたように思っておられるかもしれませんが、本当は私を本堂まで導いてくださった多くのご縁の方々がおられたはずです。永代とは、永遠の長い長い時間をかけて、生まれては死に、生まれては死にを繰り返して、やっと人間として生まれることが出来た長い道のりのことです。その私が、多くのご縁が熟して今ここにお釈迦様の教えである「お経」を読ませていただくこと(仏縁)が出来ていることの感動を「永代読経」と味わいます。

②「永代祠堂(しどう)経」という意味
祠堂とは、祠は小さなほこら。堂は大きなお堂。お釈迦様の教えが説かれる小さな建物から、大きな本堂に至るまで、その祠、お堂が子々孫々に至るまで維持されますように。との願いから、みなさまのお気持ちを「ご懇志」として納めていただき、それによって伽藍や境内が整備維持されて、教えの説かれる場所が永遠に護られていくという「永代祠堂経」としての意味があります。

③「永代にお勤めしていく(永代供養)」としての意味
浄土真宗では「永代供養」という言い方をしませんが、家のあとを継ぐものがいなくなるので、あとあとの法要(法事・月命日)をお寺にお願いしてお勤めしてもらうために、まとまったお金(懇志)を納めてお勤めをしてもらう意味での「永代経」があります。

なにはともあれ、本堂に座って、ご法話を拝聴する身にお育ていただくということは並大抵なことではないということです。

繰り返しになりますが、①の「永代読経」、私がお経を読み、お聴聞させていただくということは当たり前でなく「有難い」出来事なのです。そしてそのことは、先人(ご先祖)の思い、すなわち②の「永代祠堂経」お釈迦様の教えが説かれる小さな建物から、大きな本堂に至るまで、その祠、お堂が子々孫々に至るまで維持されますように。との願いが結実した賜物です。

今一度、先人の仏法第一のこころに思いを馳せ、み教えを聴聞出来ているよろこびを、次代へ伝えていきたいものです。
ぜひとも、出来るだけ数多く淨教寺の本堂にお座りいただき、仏縁を結んでください。それこそが故人が一番よろこんでくださる道であり、最良の故人へのご恩返しになります。




    淨教寺のアジサイ 1 (甘茶)


    淨教寺のアジサイ 2


  淨教寺のアジサイ 3 (ダンスパーティー)



   淨教寺のアジサイ 4 (カシワバアジサイ)


     淨教寺のアジサイ 3 (ダンスパーティー)



     淨教寺のアジサイ 6 (中庭)