2022年(令和4年) 9月 法話


  ナガボノシロワレモコウ
            



         セイヨウトラノオにヤマトシジミ

現生十種の利益(げんしょうじゅっしゅのりやく)

1、「冥衆護持(みょうしゅうごじ)の益(やく)」

「冥衆」とは、菩薩や諸神の事です。
神や菩薩と言えば、私達の方からお敬いし、手を合わすものと思いますが、その逆で天地の神々や諸々の菩薩方が念仏の人々を敬い護るという利益です。

2、「至徳具足(しとくぐそく)の益(やく)」
「至徳」とは、この上なき宝「南無阿弥陀仏」の事です。「具足」とは一体になる事です。炭に火がついたような状態で、炭と火を分けられない様に、切り離せない状態です。私たちが考える「宝」は失う心配がありますが、この「至徳」である「南無阿弥陀仏」は、「具足」私と一体になって、常に私を真実に導く尊い「宝」なのです。

3、「転悪成善(てんあくじょうぜん)の益(やく)」
「転悪成善」とは、悪(苦しみ悩み)がそのまま、善(よろこび)に転ずるという事です。私達人間は、三毒(さんどく)の煩悩(欲・怒り・愚痴)等で出来ています。この煩悩あるがまま喜びに転じる幸せが転悪成善の益です。
たとえば、不況で、金銭的に厳しくなったけど、車をやめて自転車通勤、外食控えて自炊しているうちに健康になった、等。

4、「諸仏護念(しょぶつごねん)の益(やく)」
「諸仏護念の益」とは、阿弥陀仏に救われた人は、冥(みょう)衆(しゅう)(諸神や諸菩薩の事)から護られるだけではなく、諸仏にも護られるという事です。そして、諸仏が一重や二重ではなく、百重(ひゃくじゅう)千重(せんじゅう)にも取り囲んでよろこび護って下さるのです。
しかも、いやいや護るのでなく、喜び護るという利益です。

5、「諸仏称讃(しょぶつしょうさん)の益(やく)」
三世(さんぜ)(過去・現在・未来)の諸仏が口を揃えて「悪世の世の中で難信の法である南無阿弥陀仏をよく聞いた」と、褒め讃えて下さる利益です。
「正信偈」には、「広大(こうだい)勝(しょう)解者(げしゃ)」=仏の心を領解した勝れた智慧者、「分陀(ふんだ)利(り)華(け)」=白蓮華(泥に染まることなく咲く白い蓮の花)と褒め称えられます。

6、「心光常護(しんこうじょうご)の益(やく)」
冥衆(諸神や諸菩薩)や三世の諸仏が、喜び幾重にも取り囲んで、十分過ぎる程護られていますが、更に大乗仏教で本師本仏と説かれる阿弥陀仏が常に護って下さるとの利益です。「心光」とは阿弥陀仏の力(光明)の事です。
阿弥陀仏に常に護られ、無上の安心・満足に生かされるのが「心光常護の益」です。

7、「心多歓喜(しんたかんぎ)の益(やく)」
親鸞聖人は『教行信証』に、「慶(よろこ)ばしきかなや、西蕃(せいばん)・月(げっ)氏(し)の聖典(しょうてん)、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈(ししゃく)に、遇(あ)い難くして今(いま)遇(あ)うことを得たり、聞き難くして已(すでに)に聞くことを得たり。」(総序)「慶(よろこ)ばしきかな。心(こころ)を弘(ぐ)誓(ぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、念(おもい)を難思(なんじ)の法(ほう)海(かい)に流す。」(後序)と書かれます。「慶ばしきかな」で始まり、「慶ばしきかな」で終わるのが教行信証です。阿弥陀仏に救われた喜び(歓喜)を表しておられます。

8、「知恩報徳(ちおんほうとく)の益(やく)」
「知恩」とは恩を知る事。「報徳」とは恩徳に報いる事。
「恩」という字は、因を知る心と書きます。私達は毎日、食べて寝て起きて動く事を、当然に思って過ごしています。しかし本当は多くの人々に生かされているのです。
人だけでなく、魚や牛など、太陽や空気・水の恩恵も受けています。あらゆるものに「生かされて」います。このように、「知恩報徳の益」とは、我々のような恩知らずが、名号のお働きで弥陀の大恩や師主知識のご恩、有形無形の恵みを知らされ、報恩せずにおれぬという利益です。

9、「常行大悲(じょうぎょうだいひ)の益(やく)」
常行大悲の益とは、「常に大悲のままに行ずる事」です。
「他力の信をえん人は  仏恩(ぶっとん)報ぜんためにとて
如来(にょらい)二種(にしゅ)の廻向(えこう)を  十方にひとしくひろむべし」
                                          (正像末和讃)
如来二種の廻向とは、「往相(おうそう)廻向(えこう)(阿弥陀仏の浄土へ往き生まれる働き)」と「還相(げんそう)廻向(えこう)(浄土から娑婆に還来(げんらい)して、すべての人を救うという働き)」の二つです。

10、「入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益(やく)」
「入正定聚」とは、「正定聚に入(い)る」と読みます。「正定聚」とは、「正定聚不退転」とも言います。正しく仏になるに定まった人々(聚)の事です。
「五十六億七千万(ごじゅうろくおくしちせんまん) 弥勒菩薩(みろくぼさつ)はとしをへん まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし」(正像末和讃)
"弥勒菩薩は五十六億七千万年後でなければ、仏の悟りが得られぬのに、弥陀に救われた親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、仏の悟りが得られる。こんな不思議な尊いことがどこにあろうか。" との、現在ただ今、正定聚の位に住した親鸞聖人の大慶喜(だいきょうき)のお言葉です。



            サルスベリ(百日紅)


              タマスダレ