2023年(令和5年) 2月 法話




         写経のお手本 讃仏偈


            写経のお手本     重誓偈

写経のすすめ 
写経と聞くと『般若心経』と思われる方が多いですが、浄土真宗では、『讃仏偈(さんぶつげ)』『重誓偈(じゅうせいげ)』『正信偈(しょうしんげ)』『仏説(ぶっせつ)阿弥陀(あみだ)経(きょう)』などが多く書写されています。淨教寺で書写している写経は、『讃仏偈』『重誓偈』『正信偈』です。

写経の心得
浄土真宗での写経は、忙しい日常の中で、心穏やかに静かな時間を持ち、お経(写経)を通して仏さまの教えに遇うご縁です。自らの目・手を通して、直接お釈迦様の教法に触れ、静かに自分自身を見つめる尊い機会となります。

①はじめに香を焚き、勤行(おつとめ)(写経するお経『讃仏偈』『重誓偈』『正信偈』のいづれか)をする。または、お念仏(南無阿弥陀仏)を数回お称えする。
②硯で墨をすり、筆を持って、一文字一文字丁寧に書き写していきましょう。
③無心で書かれるのが理想ですが、仏さまの尊い文字を書かせていただいているというお敬いの心持で書かれるか、もしくは「なもあみだぶつ」と静かに心で称えながら書かれるのが好ましいでしょう。
④書き終わられたら、最後に行を変えて、年・月・日とご自分のお名前、そして「謹書」と書かれて完成です。
⑤ご家庭のお仏壇に納められてもいいですし、淨教寺に納経することもできます。

写経のお手本を書かれた北垣元康(きたがきもとやす)先生のこと
(明治40年3月20日生―昭和47年8月5日寂 享年65歳)
昭和25年より正倉院御物を研究。写経模写数十巻。昭和27年より日展入選十数回。
昭和30年より天皇陛下、各皇室、東大寺、法隆寺、四天王寺、慈光寺、大覚寺等に納経。仏教大学で教鞭をとりながら書道の普及に尽力。熱心な浄土真宗門徒。

北垣元康先生の思い出 稲垣瑞剱師(昭和五十年七月三日神戸 堅徹会 法話にて)

北垣元康(きたがきもとやす)さんと言うてね、この人ほど、正直、謙虚な方はおらん。私のお師匠様の桂利剱先生は「謙虚(けんきょ)ならざれば 大法(だいほう)耳(みみ)に入(い)らず」と、おっしゃった。謙虚、正直、親切なお方。書家で何遍も帝展(現在の日展)も通りなはった。帝展の講師、先生や(日展の審査員)。東大寺にも大般若経の写経を贈り、寄付されたがね。まぁ謙虚ということになったら、一番やな。謙虚で正直な方で書家やで。私の家にも二つあるやろう。一つがこの「光(こう)顔(げん)巍巍(ぎぎ)」(『讃仏偈』)、それと「我建(がごん)超世(ちょうせ)願(がん)」(『重誓偈』)がある。
私が御影(みかげ)に居った時、ある日のこと「こんにちわ」と言うて来た。「おう、北垣さん、まぁ上がんなはれ」言うたら、上がらんと入り口に立ってござるが。「まぁ上がりたまえ」言う。「いや、今日は、ちょっと先生にお聞きしたいので来ましたんや」言う。「まぁそんな所で話せんと上がったらええやないか」言うたら、立ったまんまやな「先生、阿弥陀はんが『そのまま来い』と呼んでくださっとるのですか」言うねん。「そうや」言う。それを2遍か3遍繰り返してな。それから、今まで百遍か千遍聞いとるけども「先生の口から『そうや』と1遍言うていただきたいので来たのです。」私が「そうや」言うと「はぁ、これだけ聞かせていただいたら、もう満足いたしました。さいなら」と言うて帰るんや。
その態度がええ、これが、謙虚や。書を書くんでも、富士山の金明水や。そこからどうして取ったんか知らんけども一升瓶に入れてな、さぁ、書を書く。稲垣先生に一つ書いてあげようと思うたら、朝4時から起きて、冷水摩擦をしてな、そして紺地金泥で書かれる。もう態度が違うな。謙虚な態度や。態度が悪かったらお浄土へ参られへん。謙虚や、こいつは大事なこっちゃな。


と、語っておられます。北垣先生の書写に取り組む謙虚な態度をお手本に、お経に親しみ、聞法と合わせてより如来さまのお慈悲をいただく良き手助けとして、ぜひ皆さんもお時間を作って、写経をしてみませんか。お待ちしております。
毎月第2水曜日午後1時30分から3時30分です。関心のある方は淨教寺までご連絡ください。



  ロウバイ


         フキノトウ