2023年(令和5年) 4月 法話

親鸞聖人の宗教 2、悪人正機 





今年は、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)御誕生(ごたんじょう)850年・立教(りっきょう)開宗(かいしゅう)800年の節目の年です。3月29日から5月21日まで西本願寺にて大法要が勤まります。改めて親鸞聖人を讃仰させていただきたく、3回(3月、4月、5月)にわたって稲垣瑞剱先生の「親鸞聖人の宗教」を掲載いたします。御熟読ください。

親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)の宗教(しゅうきょう)  2 稲垣(いながき) 瑞剱(ずいけん)

『歎異鈔(たんにしょう)』をお読みになったかたは、第1章に、
「他の善も要(よう)にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆえに。」
という御文のあることを御承知でありましょう。また第3章に
「善人(ぜんにん)なほもて往生(おうじょう)を遂(と)ぐ、いわんや悪人(あくにん)をや。」という有名な句のあることも御記憶でしょう。
又、同じ第3章の終わりに、「悪人もとも往生の正因(しょういん)なり。」という句のあることも御承知でしょう。ついには「悪人(あくにん)正機(しょうき)」という熟語もいつしか出来たのでありますが、これも世間で誤解せられておるようであります。 

「悪人正機」と言えばとて、悪いことは仕放題、いくら悪いことをしても構わぬ、阿弥陀様は、お救い下さるのだといった意味に解しておられる方があります。甚(はなは)だしきは、真宗門徒の中にも、間々、そんな風に、得手(えて)に聞いて、勝手に振舞っておるものがあるやに聞いておりますが、とんでもない大間違いであります。

『末燈鈔(まっとうしょう)』に、親鸞聖人は、それを深くお歎きになって、くれぐれも誡(いまし)められておられます。聖人が申されますには、
「凡夫(ぼんぶ)なればとて、何事も思ふ様ならば、盗みもし、人をも殺し、なんどすべきかは、もと盗み心あらん人も・・・・もと僻(ひが)うたる心をも思ひなほしてこそあるべきに、其のしるしも無からん人々に、悪(あく)、くるしからずといふこと、ゆめゆめあるべからず候」と仰せられ、また、
「人の為(ため)にも腹くろく、為(なす)まじきことをもし、言(い)ふまじきことをも言はば、煩悩(ぼんのう)に狂(くる)わされたる儀(ぎ)にはあらで、わざと為(なす)まじきことをせば、返す返すあるまじきことなり」と仰せられ、また、
「この世の悪(あし)きをも棄(す)て、あさましき事をも、為(せ)ざらんこそ、世(よ)を厭(いと)い、念仏申すことにては候へ・・・・されば善導(ぜんどう)大師(だいし)の御教には「悪を好む人をば敬(うやま)ひて遠ざかれ」とこそ至(し)誠心(じょうしん)の中には教へおかせ、おわしまして候へ。」と仰せられ、更にまた、
「わざと為(す)まじき事共(ことども)をもし、思うまじき事どもをも、思ひなどせんは、よくよくこの世の厭(いと)はしからず、身の悪しき事をも、思い知らぬにて候へば、念仏に志(こころざし)もなく、仏の御誓いにも志の在(ま)しまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御志にては、順(じゅん)次(じ)の往生も、難(かた)くや候ふべからん。よくよくこの由(ゆえ)を、人々に、聞かせまいらせ、させたまふべく候。」と仰せられ、また、
「無明(むみょう)の酒に酔(よ)ひたる人に、いよいよ酒を勧め、三毒(さんどく)を久しく、嗜(たしな)み食(くら)ふ人に、いよいよ毒をゆるして、好めと申しあうて候ふらん、不便(ふびん)のことに候。」と仰せられてあります。その他、かずかずの御誡(おいまし)めがあります。

 たとい仏教徒でなくとも、人間である以上、何人といえども、「正直」と「勤勉」と「親切」でやらなければ、人として値打ちがありません。まして仏教徒たるものは、「正直」と「勤勉」と「親切」でやることが、「因果業報(いんがごうほう)」の教えにもかない、またお釈迦様のみ教えにも契(かな)うわけでありまして、是非とも、心掛けて、しなくてはなりません。
その上に、「学問」と「道徳」と「信仰」と、この「学」「徳」「信」をモットーとして、人一倍、奮励(ふんれい)努力(どりょく)しなければ、お釈迦様に対しても、それぞれのお祖師方に対しても、面目ない次第であります。それから「学」「徳」「信」の上から、人生の苦界(くかい)に悶(もだ)え、漂(ただよ)いつつある多くの同朋を思うとき、燃ゆるが如き「熱意」を以って、大聖釈迦牟尼如来のみ教えを普く伝えるため励まなければならないと思います。これが僧侶たるものの第一のつとめであります。そうすることにおいて、やがて真(しん)仏弟子(ぶつでし)たるの光を、広く遠く及ぼすことが出来ましょう。

親鸞聖人は、聖徳太子を尊敬し、信奉なさいまして、太子の十七条憲法の精神を身に体しておられました。そして「和(わ)を以(もっ)て貴(とうと)しと為(な)し」、篤(あつ)く「仏」と「法」と「僧」との三宝(さんぼう)をお敬いになり、太子を「和国(わこく)の教主(きょうしゅ)」として、常に帰依しておられました。すなわち『和讃』の中にあります「皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)」11首に、特にそれがあらわれております。

帰依(きえ)三宝(さんぼう)につきましては、聖人は『教行信証』に「華厳経」を引かれまして、帰依三宝は純粋の信仰により、自然(しぜん)に発露(はつろ)し、また帰依三宝を基調として、純粋の信仰に入ることが出来る旨を述べられまして、真実の信心の内容の如何に深く大いなるものであるかを、お示しになっておられます。
仏教は、大乗(だいじょう)、小乗(しょうじょう)、頓(とん)教(ぎょう)、漸(ぜん)教(きょう)、顕(けん)教(ぎょう)、密教(みっきょう)など、いろいろに分かれておりますが、それが仏教である限り、因果業報(いんがごうほう)の問題、生死(しょうじ)の問題、仏・法・僧三宝(さんぼう)の問題を基本とした転迷(てんめい)開(かい)悟(ご)の教であります。

親鸞聖人の20ヶ年の御修行は、御承知の通り比叡山(ひえいざん)でせられたのでありますが、比叡山は当時、表は天台宗でありますが、実は仏教の総合大学でありまして、天台宗(てんだいしゅう)、真言宗(しんごんしゅう)、禅宗(ぜんしゅう)、律宗(りっしゅう)などの学問より、華厳(けごん)も唯識(ゆいしき)も小乗(しょうじょう)教(きょう)も研究したものであります。

親鸞聖人はもとより法然聖人同様に、それら一切の学問をせられ、その奥義(おうぎ)を極められたのでありました。しかしながら「真(しん)如法性(にょほっしょう)」といった宇宙の大真理、今日の言葉で申しますならば、カントの物(もの)自体(じたい)、ヘーゲルの絶対的(ぜったいてき)絶対者(ぜったいしゃ)の如何なるものであるか、それを手に握ることが出来なかった。また法則それ自体、意識それ自体、生命それ自体を、御釈迦様のように、はっきりと掴(つか)むことが出来なかった。また達磨(だるま)大師(だいし)のように、自分の心、それ自体をも見究めることが出来なかった。且つまた、四(し)弘(ぐ)誓願(せいがん)にありますように、
「衆生(しゅじょう)は無辺(むへん)なれども誓(ちか)って度(ど)せんことを願(ねが)う、煩悩(ぼんのう)は無数(むしゅ)なれども誓(ちか)って断(だん)ぜんことを願(ねが)う」といった真実自力の大菩提(だいぼだい)心(しん)を起こすことが出来なかったのであります。

それ故、後になって親鸞聖人は、その心境を告白せられまして、『和讃』に
「自力(じりき)聖(しょう)道(どう)の菩提(ぼだい)心(しん) こころもことばもおよばれず
 常没(じょうもつ)流転(るてん)の凡愚(ぼんぐ)は いかでか発起(ほっき)せしむべき」
と仰せられ、また、
「罪業(ざいごう)もとよりかたちなし 妄想顚倒(もうそうてんどう)のなせるなり
 心性(しんしょう)もとよりきよけれど この世(よ)はまことのひとぞなき」
と歎(なげ)かせたまい、更にまた、如来の光明によりて、欺(あざむ)かざる自己を照らし出されては、
「浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)に帰(き)すれども 真実(しんじつ)の心(しん)はありがたし
 虚仮(こけ)不実(ふじつ)のわが身(み)にて 清浄(しょうじょう)の心(しん)もさらになし」
と、反省し、悲歎(ひたん)されたのであります。この真実の声は、人を動かさずにはおきません。哲学的のあらゆる思索(しさく)と学問とを為(な)し終わって、人生の苦しみを十二分に味われた後に、発せられたこの真実の声は、これぞ如来の光明、大智、大悲の泉より流れ出た声であります。
聖人の如く、真に欺かざる自分を見詰めた人は稀であります。真実の救いの道は、この所より開け来るのであります。また実に救われし光明の声は、一面悲歎(ひたん)の声なのであります。
「この世が浄土だ、われは仏(ほとけ)だ」といって、自分もごまかし、他をも欺いている人に、真の救いは来ないのであります。心の平和は来る時がないのであります。






             満開のしだれ桜



            仏足石としだれ桜