法のたより(11)


* 親鸞聖人のおことば 「心に太陽を」10月18日(土)午後2時 報恩講 住職 挨拶より

竊以難思弘誓度難度海大船 

無礙光明破無明闇慧日     

〔読み方〕ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん) 

無礙(むげ)の光明は無明の闇(あん)を破(は)する

慧日(えにち)なり

端的に申しますと、人類はみんな迷っております。迷いから迷いへ。結局私たちは、いのちのいずくより来たか?また、どこに赴いていくか?ということがわからない限り迷っているのでございます。「あなたはどこへ行く?」 「さあ、私存知ません」どこに行くかわからないということは、迷いの最たるものでございます。仏教はその迷いを離れて悟りの世界、永遠の智慧、慈悲の世界に到る、光の世界に赴かせていただく。そこが私たち人間にとって、私にとって、最も大事な問題でございます。その大問題に関しまして、親鸞聖人ただ一人、全てのものが救われ、光明の世界に到り得ることが出来るという釈尊の教えの至極、浄土真宗をご開顕下さいました。瑞剱先生の「安心(あんじん)」という本に「親鸞聖人のお言葉に安心、安堵させていただくのである。」こういう言葉が出ております。「聖句(仏教の尊い言葉)のうちに安心があることを忘れてはならぬ。」と、問題は「お言葉」でございます。

「親鸞さまのどのお言葉にあなたは眼(まなこ)を開かれましたか?」「どのお言葉に感動されましたか?」「いや、私はただ教えを聞かせていただいているだけで、漠然としておりまして・・・」ということでは心もとないことでございます。それではいけないと瑞剱先生はおっしゃっておられるわけです。どうぞお言葉を発見して下さい。もう既にそういうお言葉を発見されておられる方はそれで結構だと思います。ただ何となく浄土真宗の教えを聞いているということではいけないのでございます。

親鸞聖人のお言葉は、全く仏語と等しいのです。親鸞聖人のお言葉でお浄土へ行かせてもらえるのですから。ご開山さま(親鸞聖人)は、ただの人間親鸞ではないのです。親鸞聖人なのです。この報恩講のうちにどうぞ一言でもいいですから親鸞聖人のお言葉に感佩し、それを身に付けていただけたらありがたいと思います。一口に申しまして親鸞聖人は、「心に太陽を」と、このことを私たちにいのちをかけて知らせていただいたと領解させていただいております。瑞剱先生は、親鸞聖人の一番大事なお言葉は

「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」

であると申されました。教行信証の第一行目のお言葉、これは親鸞聖人が命がけで末世の衆生のために語って下さったお言葉で、常にそれを憶念させていただいております。恵日とは太陽の光。無碍の光明は私の最も深い闇を断ち切ってくださる。光明の世界に赴かせて下さる太陽の光である。親鸞聖人とはどういうお方ですか?と問われれば、私たちに「心に太陽を」と、光を与えていただいたお方と申しても過言ではないと思います。また、ご和讃の第一句目に「法身(ほっしん)の光輪(こうりん)きわもなく 世(せ)の盲冥(もうみょう)を照らすなり」という光を仰いで感嘆させられた世界を教えて下さっているのが親鸞様でございます。皆さん、親鸞聖人がお出ましになったことでどれだけ多くの方が苦しみ、悩みの真っ只中で救いを感じ、喜びを持って、人生を解決し歩んでいかれた方が居られたかわかりません。常に念じるお言葉を持って日々をお過ごしいただくことが肝要と存じます。報恩講は宗祖親鸞聖人に心からの御礼を申し上げるご法要でございます。