法のたより 12月


み仏の慈悲
11月20日(木)午後1時 御内仏報恩講 講師 瓜生津隆真先生ご法話より
近角常観(ちかずみじょうかん)先生という明治、大正、昭和を生き抜かれ、ご活躍された方がおられます。この先生は、東京の本郷の近くに求道学舎を設置されまして、東大生をはじめ、東京で学ぶ若い青年男女に仏法(仏様のみ教え)をお伝えになったお方です。先生の御徳を慕って多くの青年が導かれました。白井成允(しげのぶ)博士もそのお一人で、淨教寺様にも非常にご縁の深いお方でございます。その白井先生がご紹介下さっておられるのですけれども、近角先生がいつも口癖のようにおっしゃったお言葉が「如来のやるせないお慈悲」という言葉だったそうです。如来様のやるせないお慈悲一つでございます。ありがたいことでございます。と、常に一つことをいくたびもいくたびも、繰り返し繰り返しご教化(きょうけ)下さったのです。私たちは、珍しいこと、何かかわった事、特別なことを聞きたいと思うけれども、仏法の世界では特別のことを聞くのではない、特別といえば如来様のお慈悲一つなんです。信の世界は、「一つことをいくたびもいくたびも聞かせていただいて、いつもめずらしく、はじめたるように信の上にはあるべきなり」で、いつもいつも一つのことを聞かせていただき、喜ばせていただくのです。「やるせないお慈悲」とはどういうことかということを例話を通してお話下さったそうです。その例話がそのまま近角先生の信仰の姿そのものであったと言われております。その例話としてよくお引きになられたのが、1つは、姥捨て山のいいつたえと、もう1つは、放蕩息子のお話だったそうです。
姥捨て山のお話は皆さんよくご承知と存じますが、年をとった母親を背中に負うて若者が山の奥へ捨てに行くわけですね。その山の道すがら、背中に負ぶわれた母親が木の枝を折っては地上に落とす。目印を付けているわけですね。これを枝折(しおり)といいます。よく本などにしおりをはさみますね。目印です。母を担いでいる青年は考えたのです。母親は山奥に捨てられる寂しさ、辛さに耐えかねて、またこの落とした枝をたどってもとの家に帰ってくるつもりではないか?と、こう思ったのです。普通はまあそう思うでしょうね。山奥へ到着して、お母さんを背中から下ろして別れを告げた。その時に母親がちょっと待ちなさいと呼び止めた。「おまえな、道に迷ったらおおごとで帰れなくなるから、迷わないように枝を落として目印をしておいたからそれを頼りに帰りなさい。」と、お母さんが言いました。この母親の心ですね。それがやるせない子供を思う母の心なんです。やるせないとはこういう心をいうんですよ。
捨てられる自分のことではなくて、自分の事は顧みないで、ひたすら息子の無事の下山を念じてしおりをやっているわけです。その心がやるせないお心だと近角先生はおっしゃるわけですね。
如来様のやるせない慈悲をもって私たち一人一人を導いてくださるのは如来様がいのちをかけて自分はどうなってもいい、でも、おまえをほっておくわけにはいかない。おまえを確かに救わずにはおかないというのが如来様のやるせない慈悲なんですよ。やるせないという心には悲しみがあるじゃないですか。この悲しみということが大事だと思うんですね。お慈悲というのは、慈はいつくしみですけども、悲は悲しみでしょう?やるせないお心で、人間というのは本当に悲しい存在ですね。一生懸命にわが子を育てて、育てたわが子に背かれる。背かれて嘆いているということが多くあるでしょう?そういう悲しみをやるせないという言葉で表すわけですね。如来様の悲しいお心です。慈悲を表す菩薩は観音菩薩です。大悲菩薩というと観音菩薩ですけれども、その観音菩薩のことをよく悲母観音といいます。悲しい母の心なんです。それをもって生きとし生けるもの一切のものをお救い下さるお導き下さる。悲母の心です。それをやるせないとお示しくださっております。