今月の法話(7月



5月22日 永代経法要 住職 挨拶より 「巌頭之感(がんとうのかん)」

巌頭之感」 藤村 操 (1903年5月22日寂)
「悠々(ゆうゆう)なる哉(かな)天壌(てんじょう)、遼々(りょうりょう)なる哉古今、五尺の小躯(しょうく)を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリティーを値するものぞ。万有(ばんゆう)の真相は唯一言にしてつくす、曰く“不可解”。我この恨みを懐いて煩悶(はんもん)終(つい)に死を決す。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。」人生「不可解」という命題を持って、華厳(けごん)の滝から投身自殺された藤村 操さん。17歳になる直前とありますから、16歳ですね。今年でちょうど100年になるという記事が「朝日新聞」の「天声人語」に出ておりました。今から100年前ですと明治36年ですね。その時代若き青年が、宇宙・真理とは何だろうか?私が人間に生まれてきた目的は何か?大きな疑問をもって哲学したわけです。哲学というのは万人が学ばなくてはならない崇高な学問で、自己自身の認識をしっかり確立していく、真理の探究、真・善・美の究極を求めて学んでいくのが哲学です。そこに自ら解答を見出すことが出来ず、絶望し自殺をされたのです。
仏教では、受けがたい人身を受け、ただひとたびの人生、今度人間を卒業したら再び人間に入学することは出来ないということを厳粛に考えてまいりますと、一日一日をおろそかに生きてはいけないということ、尊い生命であるということ、そして、使命を持っていることを教えられます。この仏法を聞くということは寺院のためでも社会のためでもなくて、自分自身のためですね。私が私のために聞かなければならない大きな問題です。藤村操さんが望まれた真理とは何か?本当の善を行いたい、人生秘奥の要求を満足させてくれる真実はないかという探求がこの時代は旺盛だったのです。現代は、ざわざわした生活の中でそういうことがおろそかになっております。こういう記事を読む中で昔の真剣な生き方をした青年たちを顧みて、現代の私たちももう一度哲学的思索を深めていかなければならない時代に来ていると思います。「巌頭之感」を木に刻まれたということで思い出されますのが、お釈迦様の前生のお話・ジャータカ物語の「雪山童子(せっせんどうじ)」のお話です。これに付いてはページをあらためてお話します。藤村操さんがこの問題で、宗教に、釈尊・親鸞聖人に出会っておられたらと思うと残念です。
最後に「大いなる悲観は 大いなる楽観に一致する」という言葉で結んでおられます。大いなる悲観、悲しみ、絶望は、大いなる肯定、楽観、喜びに一致するという、こういう所まで来ておられるのですが自殺されたのです。この言葉は、もう一歩進んだら「二種深信(にしゅじんしん)」すなわち、「私は久遠劫来(くおんごうらい)、罪を造り迷っている、本当に恐ろしい悲しい人間でございます。しかし、同時に阿弥陀様がこの私を抱いてかかえて、しっかりと悟りの世界へと導いて下さいます。」という、プラスとマイナスの両極端の世界が一信心の中で統一されているという親鸞聖人のご信心の世界です。地獄必定のゆえ、弥陀大悲の絶対の救済がありました。なぜ親鸞さまに遇われなかったのだろうか?ということを思います。そういう生命にかかわる大きな問題が私たちの浄土真宗では明らかに解決されまして、本当に暖かい光が、喜びが与えられる教えであります。

現代を私たちはいろいろな問題を抱えて生きているわけですけれども、来し方を省みて、切磋琢磨して、絶えず稽古していくことが大事だと思います。これは自力でもなんでもありません。道を歩むものは努力して、読書して、聞法して、稽古して行くのです。このことの大切さは稲垣瑞剱先生もよくおっしゃいました。
他力・他力といって何もしなくてもいいというような大きな思い違いをしていてはいけないのです。そういう所をもう一度見直していただきまして、本当に浄土真宗を私自身に正しく頂戴するということが重大な使命であり、自分のためにあり、また、一隅を照らし世界に貢献する一番大きなことだと思います。そこに凝縮された価値を見出していただきまして、なお一層のお聴聞に励みたいと思います。