法のたより (2004年1月


稽古(けいこ)
「道」というのにはどういう言葉がありますかといいますと、稽古という言葉があります。この「稽」とは、学ぶということです。そして「古」とは、師とか先輩という意味です。また、道という意味ももっております。ですから、「稽古」とは師匠、先輩の歩まれた道を尊び、仰いで学ばせていただくということです。これに似た言葉に「練習」という言葉があります。野球やサッカーは練習という言葉を使いますが、剣道では稽古と申します。
私、戦後、龍谷大学に剣道部を復活させまして、それ以来今日まで年に2,3回剣道部の部員と会合を持ちますが、昭和30年代半ばくらいになりますと、「剣道の練習をする」という言い方をしだしたものですから、すくなくとも私の大学では練習という言葉は止めてくれと申しました。それからずっと「稽古」という言葉を使ってもらっています。勝手に自分が好んでやるのではなくて、師匠が歩かれた道を私たちはかたじけなく、また素直に、仰いでいく、続けていくという意味があります。練習は自分の創意と努力でやっていくという意味あいが強いです。稽古と練習という意味が違うわけです。それから、馴染む(なじむ)という言葉があります。これは「馴れ染まる」という意味です。私たちの本願寺教団、寺院では、長らくお付き合いいただいて、お釈迦様、親鸞聖人また、私を導いてくださるお師匠さまを仰いで、仏教を、浄土真宗の教えを聞かせていただく、馴染んで、おこなっていくという道でございます。そういうことから申しますと、年に一回や二回ではなかなか馴染んでいただけないと思います。
仏教の大きな宇宙観、人生観というものを学び、真実の仏さまの光によって明るい方向に希望を持ち、幸せの方向に向きを変えていただくには稽古とか馴染むという道しかないのでございます。こういう言葉は古い言葉ですが、大切な言葉で日本だけの言葉というものがあります。他にも「おかげさま」「ご恩」「不思議なご縁」などの言葉は西洋には無い言葉です。このような言葉が自然と身に付いている人は人生の勝利者と言えるでしょう。「おかげさま」という言葉の出る方には対立も争いも無くて本当に心からお敬いしたいという気持ちがわいてまいります。これは、仏教の宇宙観ですね。全てのものは縁(よ)りあって成立しているのであって、一人の力が大きいのでも、強いのでもない。みんな共存共栄して歩んでいこうという、平和な平等な世界の実現を目指しているのです。その中でとりわけ、親鸞聖人は特に「ご恩を慶ぶ」とか「報恩」という言葉をしばしば私たちにお示し下さっております。
どうぞ本堂に集っていただき、お経に馴染み、仏さまに馴染み、仏語に馴染んで下さい。そして、「おかげさまやな」「不思議なご縁やな」「ありがたいことやな」という世界を身体いっぱいに頂戴してもらいたいと思います。最高にすばらしい浄土真宗のみ教えにふれていただきたいと思います。