法のたより 16年2月号



平成16年1月20日 新年定例法座 挨拶より 住職 島田 和麿
生涯聞法
み仏さまの導きによりまして、日々過ごさせていただき、親鸞聖人のご恩、また、門信徒の方々の温かいご支援によりまして、お寺は充実した営みを続けさせていただいております。1年間のご講師もほぼ決まっております。どうぞ月に一度はお顔を見せていただきたいと思います。
人間というものは放っておきますと堕落の方向へ向ってしまします。この世のことも大事でございますが、この世の生業(なりわい)のことだけに心を奪われ、また情報の渦の中でつい知らず知らず自分自身を見失うということになりがちでございます。み教えに触れなかったら自分自身を内部から荒廃させていくという危険性があるのでございます。
仏教というのは、生涯勉強、生涯聞法ということであります。そして、み仏さまの教えにお育てを受けて、人間として人間らしく考え行動し、生きさせていただく、そういう所にお寺の重要な意味があろうかと存じます。
これは側面的な言い方でございますけれども、本当を申しますと、み教えに触れ阿弥陀さまのみ光に照らされて、反対に、自分が荒廃し切っている恥ずかしい存在だという事を知らしめられるのでございます。そのものに特に阿弥陀さまは慈悲のみ光をお照らし下さいまして私たちを摂取してお救い下さるのです。そのためにみ仏さまは今も必死になってご活動下さっております。