今月の法話


八正道
八正道とは私たち仏教徒が歩み守るべき原点の教えである。今の日本人にはこの精神が希薄になってきている。ぜひともこれを読んで実行していただきたい。そうすることによって、この道を歩むことが如何に難しいかがわかり、親鸞聖人の他力の教えが輝いてくるであろう。(阿弥陀仏を)仰いでは讃嘆、伏しては慚愧(自らの行いのいたらなさを恥じて)。以下は、『ブッダの生涯』(H・サダーティッサ著 桂 紹隆・桂 宥子訳)よりの引用である。

快楽にふけることと、自分自身をいためつけることという両極端に代わるべき道が、八正道である。それらは普通、次のように名付けられる。すなわち、正しい理解(正見)、正しい思考(正思)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意(正念)、正しい精神集中(正定)である。もう少しくわしく説明しよう。
<正見>とは人生をあるがままに見ること、四聖諦に要約されている生存の本質を悟ることである。
<正思>とは清らかな心を意味し、悟りへの道を妨げるさまざまな感情、すなわち肉欲、敵意、残酷さなどをなくすことである。正思は、正見、正精進、正念と密接に関連している。
<正語>とは、言葉において正思と同様の鍛錬をすることである。人は、うそ、陰口、くだらないうわさ話などを慎み、親切で寛大な態度で人びとに話しかけるべきである。大声で話したり、興奮して話したり、独断的に話したりしてはいけない。戸外で群衆に話しかけるときによくあることだが、他人の感情をたきつけることも避けるべきである。したがって正語は、政治家や扇動者が達成するのはむずかしいであろう。
<正業>五つの戒めにわけられ、それぞれ否定的な面と肯定的な面がある。<五戒>は、まず(一)殺生を禁じ、すべての生物に対する憐れみと親切を勧めている。次に(二)盗みを禁じ、布施を勧め、(三)性行為を禁じ、(四)正直、誠実を勧め、(五)酒や麻薬の使用を禁じている。このうち特に殺生と淫らな性行為を避けることが強調される傾向があるけれども、五戒はより高度なものを求める弟子たちにとって、すべて重要なものである。正業はまた、八正道の他の段階、とりわけ正見、正精進、正念と関連している。
<正命>とは、私たちが生活の糧を得る際に、ブッダの教えに反する仕事や活動に従事してはならないということである。したがって、あらゆる欺瞞や搾取、他人に害と不公平をもたらすことは、すべて避けられねばならない。五種類の商品、すなわち武器、生物、肉、酒、毒を商うことは特に禁じられている。また、兵士、猟師、漁師といった職業や、高利貸し、売春、占いも禁じられている。もちろん、人は生活しなければならない。しかし、仏教徒の理想は出家生活であり、物質に執着しない生活であるから、たとえ家族や仕事上の責任があっても、その生活は出来るだけ簡素でなければならない。正命も、正見、正精進、正念と関連している。
<正精進>は気高い性質を養い、下品な性質を矯正することである。これは四つに分けられ、八正道の残りのものを成就させる道徳的鍛錬である。この鍛錬を行うことにより、仏教徒はいわゆる<十の完成>、つまり、気まえのよさ(布施)、倫理的な高潔(持戒)、俗世の放棄、知慧、活力(精進)、忍耐(忍辱)、正直、決意、慈悲、平等視を得ることができる。
<正念>とは、悟りに向かうための知的認識の発展である。ここで私たちはより高いレベルの仏教哲学にかかわることになる。しかし簡単にいえば、正念とは重要なものを認識し、かつまどわされないように、物事が見極められるよう心を鍛錬することである。一種の霊的直観というのかもしれない。ここでは、四種の経験領域が区別される。すなわち、身体、感情、心、そして心に浮かぶ観念である。これら正念の四基盤を正しく考慮するならば、<悟りの七つの要素>(七覚支)が完成される。それはおおよそのところ、注意(念)、法(ブッダの主要な教え)の研究(択法ちゃくほう)、活力(精進)、歓喜(喜)、平穏(軽安きょうあん)、精神集中(定)、平等視(捨)にあたる。
<正定>とは八正道の最終段階、瞑想の実践である。それは事物の無常住の完全な理解、ついには涅槃へ人を導くものである。瞑想は他の活動と同様に、修行と訓練を必要とする。安定した、穏やかな呼吸が望ましく、心が平穏に集中するよう努める。そして、気まぐれな考えがしのび込んだときには、必ず根気よく追う払うべきである。習いはじめには、精神集中を助けるために数をかぞえたり、呪文をくり返したりするような工夫を用いるとよい。なお、瞑想を実践する前に、取り除くか、少なくとも弱めておくべき五つの心的障害がある。愛欲、悪意、怠惰、心配、懐疑である。