法のたより 2004年 9月号

「いのちの躍動」
   8月21日(土)午後2時 真宗講座 住職 挨拶より
 
 夏の疲れが出てくるころですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 私も、今年2月で満70歳となりまして法務の方も少しずつ少なくしてまいりますと、どうしても気分的にも消極的になってきています。これではいけないと、自分自身反省いたしております。そんなことで、先般稲垣瑞劔先生の御歳70歳の頃を思いました。先生の70歳は昭和29年になります。私は20歳。先生は昭和56年に数え年97歳でお亡くなりになられましたが、もうぎりぎりまで大活動なさいました。恩師 桂利剣先生が昭和19年に亡くなられまして、桂先生の顕されました「教行信証註疏評林」を世に出そうと決意され準備に入られました。 そして昭和29年頃から「教行信証大系」7巻の執筆に入っておられます。しかし、「註疏評林」は非常に難解のものでもありますので平易な文にすること、読んで下さる方々を育てることに注心されました。各所に法話会を作られ、一ヶ所にこんこんと水がしみ透って行く様に毎月毎月、西は広島から東は大垣、滋賀そして幸い奈良も選んで頂き、それから大阪、先生の地元神戸と、おみのりを伝えご教化いただきました。地方への大法宣布の決意をされたのが先生70歳くらいの時でございます。
 それまでに大変な学問をされたのでした。小学校の時に四書五経を了え、そして、これからは英語の時代であるということで中学の時には相当な英文学を読みこなしておられました。また西洋哲学はもとより、当然仏教は華天密禅(華厳、天台、真言、禅)それぞれにすぐれたお師匠さまに遇い、華厳宗は東大寺のK先生。真言宗は河村恵雲という先生に学ばれました。しかも、最も大切な浄土真宗の根本聖典であります「教行信証」につきましては桂 利剣先生に遇われたのでした。 
 みなさん!70歳の方おられたらこれからですよ!
 先生の70歳は出発の起点だったわけです。それでも、90歳くらいまでは神戸の成徳学園(現在の神戸龍谷学園)の理事長兼校長、名誉校長として教育界のお仕事がありました。非常に超人的なご活躍でした。そして、時間があれば伝道活動をされ、病人の方を見舞われ、ご説法され、法話ハガキを送られ、原稿も毎日何枚は書くと決めて執筆され、ありとあらゆる形で仏法三昧のご生活でした。
 先生には、学問的著作また法話集以外に詠歌(うた)をたくさん詠まれています。仏法三昧、よろこびに満ちた歌、生死の苦海を超え大宇宙に叫んでおられるような句もあります。なかなかそういうよろこびの味わいの句というものは出てこないものですが先生には数限りなく多くの歌が残されております。

「摂取光中 弥陀のふところ」  
短い句ですが味わい深い一句です。

「いのちまさに了らんとする時 望み洋々たり」 
亡くなられる時、希望をもって、私はこれから仕事をするんだ。いのち終わってお浄土へ参って大慈悲の活動をさせてもらうのであると、大きなる希望のほとばしりの歌です。

「雲に入る 鳥見るたびに思うかな 願に乗じて天翔ける日を」
と、病床の窓の外でツバメが雲に入っていく姿を見て、私もあのように阿弥陀さまの本願力の船に乗って衆生を救う大悲の活動に天空を駆け巡るのである、という一句です。

人間として、現代人として真に生死を超えられ、妙好人であって学者である最高のご生涯を終えられたお方であると思います。先生のご生涯に学び、目標をもち希望をもって、日々を過ごさせていただきましょう。