奈良 淨教寺

2024年(令和6年)3月の法話

のりのたより〔255〕

今年88歳になられた佐々井秀嶺上人。お元気でお出迎え下さいました。
インド、ナグプール/インドラ寺にて佐々井秀嶺上人と淨教寺参拝団一行

インド仏蹟参拝の旅(2024年 2月21日~3月2日)
インド サールナート 初転法輪(しょてんぽうりん)の地

初転法輪とは、初めて法輪(教えの輪)が回転し始めた場所という意味です。
ブダガヤで悟られたお釈迦さまは、はるか270キロ離れたサールナートで共に修行した5人の仲間(五(ご)比丘(びく))に語るために徒歩で移動されます。

お釈迦さまは、何を悟られ、五比丘に何を語られたのでしょうか?
それは、人間としての生き方、本当の人間として生きていく道を悟られ、語られたのです。それが宇宙の真理なのです。
お釈迦さまは、我々は「人間の皮を被った生き物である。」と、仰います。
人間の姿をしていても
1、鬼のような人(相手を攻めて許さない人) 
2、餓鬼のような人(自分だけ取り込んで、分け与えることの出来ない人) 
3、畜生のような人(失敗しても反省できない人) 
4、修羅のような人(短気で、喧嘩っ早い人)
5、天人のような人(自分ほど偉い者は無いと有頂天になる人)、そのように自己中心な私に本当の人間として歩む理想をしめされました。
それが四諦八(したいはっ)聖(しょう)道(どう)です。
1、苦諦(くたい)とは、「人生は苦なり、思い通りに行かない人生である」と明らかに悟ること。
それは何故?
2、集諦(じったい)とは、「苦の原因は、思い通りにしようとする囚われ、執着、煩悩にある」と明らかに悟ること。
3、滅諦(めったい)とは、「苦の原因である執着、煩悩を消滅したところに本当の安らぎがある」と明らかに悟ること。
それを、高田好胤さんは、「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心」と表現されました。私たちの生きる理想であり、こうありたいと思います。しかし、現実は、なかなか難しいものです。(言うは易し、行うは難し)
4、道諦(どうたい)とは、「その滅諦(理想)に向けて行う実践の道が八聖道である」と明らかに悟ることです

その実践の道である「八聖道」とは、1、正(しょう)見(けん) 2、正思(しょうし)惟(ゆい) 3、正語(しょうご) 4、正業(しょうごう) 5、正(しょう)命(みょう) 6、正精進(しょうしょうじん) 7、正念(しょうねん) 8、正定(しょうじょう)です。
1、正見(正しいものの見方)とは、四つの真理(四諦)を明らかにして、原因・結果の道理を信じ、誤った見方をしないこと。
2、正思惟(正しいものの考え方)とは、欲にふけらず、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、害(そこな)うことのないこと。
3、正語(正しいことば)とは、偽(いつわ)りと、むだ口と、悪口(わるくち)と、二枚舌(にまいじた)を離れること。
4、正業(正しい行い)とは、殺生(せっしょう)と、盗(ぬす)みと、よこしまな愛欲を行わないこと。
5、正命(正しい生活)とは、人として恥ずべき生き方を避けること。
6、正精進(正しい努力)とは、正しいことに向かって怠ることなく努力すること。
7、正念(正しい念い)とは、正しく思慮深い心を保つこと。 
8、正定(正しい心の統一)とは、誤った目的を持たず、智慧を明らかにするために、心を正しく静めて心の統一をすることです。
これは私達が仏教徒、浄土真宗の門徒として踏まえていく原点であり、これ無しに、浄土真宗は阿弥陀様のお救いだから、おまかせだから、何もしなくていい。門徒物知らず。という生き方をしている方もおられますが、それは間違いです。
親鸞聖人は、「道諦」を無視してお念仏の道を歩みなさい。とは仰っておられません。常に「四諦八正道」を念頭に「生死(しょうじ)出(い)ずべき道」を歩まれ、悟りに到達し得ない身を慚愧(ざんぎ)し、そのものを哀れみ救うという阿弥陀仏の慈悲を讃嘆(さんだん)されていかれました。
今一度、お彼岸に当たり仏教の原点に立ち返りお念仏の道をお聴聞していただきたいものです。