謹 啓
慈光照護のもと、みなさまにおかれましては、ますますご清栄にお過ごしのことと拝察申し上げます。日頃は、淨教寺の護持・発展にご尽力、ご協力いただきましてありがとうございます。
この度、第二十六世住職のご推挙を頂き、2008年(平成20年)11月8日に継職奉告法要を勤めさせていただきました。
25世住職の得度五十年、住職三十年の伝道活動は、戦後復興、経済成長という目まぐるしい社会変動の中での大変なご苦労、御活躍でありました。
その中、昭和六十二年新潟県長岡市、明鏡寺より入寺させていただき二十三年になります。浄土真宗寺院としてはめずらしい開創七百六十五年、親鸞聖人七十一歳ころの直弟の行延法師を初代とし、法灯は連綿として伝えられ、教化活動の中心として常に宗門の先頭に立ち、真宗繁盛、お念仏相続にご尽力されているお寺でございます。
改めてこのような尊いお寺にご縁がございました事を深く感謝させていただくことでございます。
昨今の世の中の状況を、「み仏様との日暮しを―キリスト教から浄土真宗へ」の著者 河村とし子さんは、「イ・ク・コ・ブ・ネ」と表現されました。
すなわち、イはイライラ。クはクヨクヨ。コはコセコセ。ブはブリブリ。ネはネチネチ。
まったく、上手く的確に言い表しておられると感心いたします。
これは家庭教育イコール宗教教育
お釈迦さま在世の二千五百年前。親鸞聖人在世の八百年前。その当時から想像も出来ない文明の発達を遂げているにもかかわらず、人々の心の様子は、発達するどころか逆に後退し、衰退の一途をたどっているようです。
今こそ、徳育の中心として、仏教教育が各家庭の中で見直されていかなければならない重要な時期にきています。
河村とし子さんは、姑である母の姿を「オ・ア・シ・ス」のお方であったと、念仏に生きられた姿を感動を持って書いておられます。
オは、おかげさま。アは、ありがとうございます。シは、しあわせでございます。スは、すみません。
この「オアシス」のことばは、自らの生きる力となり、他の生きる力となります。そして、自らを生かしていく力となり、他を生かしていく力となります。
皆様とともにこの言葉を合言葉に、浄土真宗・法雷轍の流れを中心に置き、仏法の道を一歩一歩確実に歩まさせていただきたいと決意を新たにいたしております。
今後とも、まだまだ未熟でいたらぬ若輩者ではありますが、みなさまのご指導、ご鞭撻をたまわりまして精進し、淨教寺の寺門の発展に、有縁の方々への幸せの泉となりますよう尽力する覚悟でございますので、よろしくお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。