奈良 淨教寺

2024年(令和6年)5月の法話

のりのたより〔257〕

 いのちのかがやき  
《 い の ち 》
1 野の花の 小さな命にも
   ほとけはやどる ほとけはやどる
   朝(あさ)影(かげ)とともにきて
   つつましい つつましい 
   営みを あたえる おなじように
2 野の鳥の おさない命にも
   ほとけはやどる ほとけはやどる
   涼風(すずかぜ)とともにきて
   生きる身の 生きる身の
   喜びを ささやく おなじように
3 白露(しらつゆ)の はかない命にも
   ほとけはやどる ほとけはやどる
   月(つき)白(しろ)とともにきて
   一夜(ひとよ)さの 一夜(ひとよ)さの
   安らぎを 教える おなじように

藤の花
御衣黄桜(ギョイコウザクラ)

 


八重紅しだれ桜・御衣(ぎょい)黄(こう)桜・藤の花があっという間に終わって、新緑の美しい時期になってきました。
境内、墓地にはたくさんの草花がいっせいに花を咲かせ、その花に誘われて、小鳥や昆虫たちが境内を飛び回っています。
はじめに紹介した仏教讃歌「いのち」では、「野の花の 小さな命にも」「野の鳥の おさない命にも」「白露(しらつゆ)の はかない命にも」あらゆるいのちに「ほとけ」さまはやどってくださり、私たちを仏道に導いてくださっているとうたっています。
仏教に「方便」と言う言葉があります。「嘘も方便」として親しみのある言葉です。サンスクリット語の「ウパーヤ」(近づく・到達する)から「真実に導く巧みなてだて」という意味で、「仏様がわれわれ衆生を真実(悟り)へと導くための手立てとして説かれた教え」という意味で使われます。
お釈迦さまのお説法は「対機(たいき)説法(せっぽう)」とか「応病(おうびょう)与(よ)薬(やく)」といわれます。「機」とは教えを説く対象のことです。状況も立場も違ういろんな人々、老若男女が居ます。同じ説法をするのでなくその方その方に応じたお話をされることを「対機説法」といい、喩えていえば「お腹痛いときに頭痛の薬を飲んでも効かない」
ように、病気に応じてお薬があることを「応病与薬」といいます。
親鸞聖人のご和讃(高僧和讃・善導讃)に
「釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)は慈悲(じひ)の父母(ぶも) 種々(しゅじゅ)に善(ぜん)巧(ぎょう)方便(ほうべん)し
   われらが無上(むじょう)の信心(しんじん)を 発起(ほっき)せしめたまひけり」 と、あります。
(現代語訳)お釈迦さまと阿弥陀如来さまは慈悲深い父であり母であります。さまざまに真実の巧みな手立てをほどこされて、わたしたちにこの上もない尊い信心を起こさせてくださったのであります。
野の花となり、朝影となり、野の鳥となり、涼風となり、白露となり、月白となって阿弥陀さまと先に旅立たれた先人の方たちは私たちに寄り添い、お慈悲の尊さをお伝えくださっています。
永代経法要にあたり亡き先人の方々のご恩を偲び、今ここに手を合わせ、お念仏申す身にお育ていただいたことを感謝申し上げ、お聴聞に勤(いそ)しませていただきましょう。

チチコグサ
ハハコグサ