奈良 淨教寺

2024年(令和6年)7月の法話

のりのたより〔259〕

安居(あんご)と盂蘭盆(うらぼん) 
安居(あんご)
西本願寺では毎年7月18日から7月31日まで、安居が開催されます。安居とは全国の僧侶が修学の為に京都の龍谷大学・大宮キャンパスの本館に集まって浄土真宗の教義・安心について研鑽に励む行事です。寛永17(1640)年から370年余り続く長い歴史を持っています。
安居の始まりは、お釈迦様の時代に遡ります。お釈迦様とお弟子達は定住せずに布教伝道をされてましたが、インドでは6~10月頃の雨期になりますと川が氾濫し、交通が困難になります。また、この時期は草木や虫がよく成長する時期にあたります。
そこで、足元の悪いこの時期に外出し、小虫を踏み潰したり、新芽を痛める恐れを考慮して出かけず、洞窟や僧院(寺)にこもって修行に専念することになりました。これが安居の原点です。この安居のための居場所が、お寺の始まりとも言われますが、この時代の寺は修行者たちの居住する場所であり、現在のような仏様をご安置するものではありませんでした。
お釈迦様が安居を行なわれた場所は、鹿野苑、竹林精舎、祇園精舎等各地で40回以上行われた記録があるそうです。安居の最終日には、参加者全員による反省と懺悔の会が催され、修行者に対する色々な供養も行われ、終わると修行者は各地へ伝道の旅に出発しました。この最終日の修行者に対する供養が、お盆のいわれにつながります。 

虹の中の蓮
仏教の象徴 ハスの花

 

お盆のいわれ
『盂蘭盆(うらぼん)経(きょう)』にお釈迦様の十大弟子の一人で、神通(じんずう)第一(だいいち)と言われた目連(もくれん)尊者(そんじゃ)がおられます。その目連尊者が、ある日、一人で静かな場所で坐禅を組んで瞑想に耽って死に別れた母のことを思い、神通力の一つである天眼(てんげん)の力を使って、亡き母の姿を探していました。しかし、天上界を探しても母の姿を見つけ出すことができず、餓鬼(がき)道(どう)の世界に落ちて飢えと渇きにもだえ苦しむ母の姿が目に入ってきました。
母を助けようと目連尊者は、神通の力で、水と食料を供物として送り込んでその苦しみを少しでも癒そうとするのですが、亡き母の口へと触れた瞬間に炎となって燃え尽きてしまい、餓鬼道の業苦にさらに苛まれてしまいます。
目連尊者は、お釈迦様のもとを訪れて、自分が目にした餓鬼道へと落された亡き母の様子について話し、何とかして母を救う手立てがないものかとたずねます。

沙羅の花(ナツツバキ)
半夏生にバッタ

それに対して、お釈迦様は、「目連の母は、自分や自らの家族に対しては良きものを与え、豊かに暮らしていたが、飢えと渇きに苦しんで困窮している人々を目にしても、その豊かさを分け与えず、困っている人々に施しを与えることを行わなかったため、そうした自らの業によって餓鬼道へと落されることになったのだ。」と伝えます。
そして、飢えと渇きに苦しんでいる人々や、(安居の)修行僧たちに施しを行い、彼らのための読経と供養を行うことによってのみ、亡き母を餓鬼道から救うことが出来ると教えます。そこで、目連尊者は、お釈迦様の教えを深く心にとめて、すぐにその通りに行うことによって、目連尊者の亡き母はついに餓鬼の苦しみから救われることが出来たということです。

こうした『盂蘭盆経』の物語が土台となって安居の終わる夏の時期に祖先を偲ぶ法要(盆会・お盆参り)や盆踊りといったお盆の行事や儀式が形づくられていきました。
浄土真宗ではこのお盆を「歓喜会(かんぎえ)」と呼んで、亡き方との別れの悲しみをご縁としてお釈迦様、親鸞聖人のお念仏のみ教えに出遇えた尊い仏縁の法要としてお盆をお迎し、おつとめさせていただきます。

カンゾウ
青空にかがやく蓮の花