奈良 淨教寺

2025年(令和7年)2月の法話

のりのたより〔266〕

スリランカ仏跡巡拝・ジャヤワルダナ元スリランカ大統領 


 東大寺・狹川普(さがわふ)文(もん)長老とスリランカ仏跡巡拝の旅にご一緒させていただきました。
スリランカは、インドの南に位置する北海道より一回り小さい島です。人口は2500万人、70パーセントが仏教徒です。大都会コロンボでも、田舎町でもいたるところに五色の仏旗がはためいています。バスで近づくと入り口にはお釈迦さまの坐像や立像を安置したお堂があり、おもわず車中から手を合わすことがたびたびでした。
 淨教寺では、行事のときに仏旗を山門に掲げますが、普段の行事の無いときも仏旗がたなびいていたら海外から来られた仏教徒の方たちは喜ばれるかな?と思ったりもしました。
 ケラニヤ寺院、ポロンナルワ遺跡群、アウカナ・ブッダ、アヌラーダプラ遺跡群、

シーマ・マラカヤ寺院を巡りました。
 スリランカでは、全ての仏跡、寺院で仏像に背を向けることを禁止しています。日本では当たり前に仏さまを背にして記念写真!などと言っていますが、スリランカの人たちにとっては考えられないことなのです。不敬罪に当たり罰せられます。
 そして境内、寺院内は土足厳禁です。原則、裸足。白い靴下や足袋は許されますが、現地の方たちは裸足でお参りされています。また帽子や日傘も禁止です。


 ポロンナルワ遺跡群は、アヌラーダプラ遺跡群が11世紀に崩壊したあとに10世紀から12世紀に首都があったところです。日本では鎌倉時代に匹敵します。
クワドラングルといわれる城壁に囲まれた中に11の建物群が集まっているところです。その中の一つ「アタターゲ」はお釈迦様の歯をご安置していた仏歯寺跡です。
 そこから少し行くと、ガル・ビハーラと言われる「ポロンナルワ遺跡群」の4つの石仏像(坐像2つ、立像1つ、涅槃像1つ)がお参りする人々を圧倒します。
 アヌラーダプラ遺跡群へ行く途中に立ち寄ったアウカナ・ブッダ立像は5世紀に作られスリランカ仏像の中で最大級の美しいものです。右手は施無畏印ですが、手を正面に向けるのではなく手のひらを左に向けた印相です。サンスクリット語で「アブハヤ・ムドラ」と言い「おそれる事は無い、人々の安寧を祈っている」と言う意味だそうです。
 アヌラーダプラ遺跡群は、今から2500年以上も前にスリランカ最古の都があった場所です。仏教はこの地からスリランカ全土、ミャンマー、タイ、カンボジアへと世界各地に広がっていきました。仏塔が点在し当時の繁栄を物語っています。その中でも参詣者の多かったのが、「スリー・マハー菩提樹」です。インド・ブダガヤの菩提樹の分け木を植樹したもので、紀元前3世紀に運ばれたとされています。

ポロンナルワ遺跡群  佛陀 坐像
ポロンナルワ遺跡群 佛陀 立像
ポロンナルワ遺跡群 涅槃像
アウカナ・ブッダ立像
スリー・マハー菩提樹
サマーディー佛陀坐像 (お悟りを開かれた佛陀)

そして日本人として忘れてはならないスリランカ人として、
ジューニアス・リチャード・ジャヤワルダナ元大統領の事を教えていただきました。
1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議にセイロン代表として出席したジャヤワルダナ元大統領は、仏陀の言葉を引用して対日賠償請求権を放棄しました。「日本は真に自由で独立した国でなければ」とソ連の制限案に反対し、参加国に寛容の精神を求め「アジア随一の外交官」と国際的賛辞を得ました。
「軍隊の駐留による被害や我が国の重要生産品である生ゴムの大量採取による損害は、当然賠償されるべきである。しかし、その権利を行使するつもりは無い。なぜなら仏陀の〔憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈悲によって止む〕との言葉を信じるからである」との言葉は、これからの世界平和建設への言葉として重要なものです。

 

ジャヤワルダナ大統領
菩提樹に佛旗
野生のスリランカ象
本場のスリランカ料理