奈良 淨教寺

2025年(令和7年)3月の法話

のりのたより〔267〕

仏前結婚式 
娘が佐賀のお寺に嫁がせていただきました。
ご本堂で仏前結婚式が執り行われました。
喚鐘の音に導かれ、友人たちの雅楽の響きの中、仏教婦人会の方たちの献灯、献華、献香が供えられ、媒酌人・新郎新婦が本堂ご尊前に着座して両家親族、関係者の見護りの中、結婚式が始まります。
司婚者が入堂され一同、合掌礼拝。お勤めが始まります。
至心礼。表百。重誓偈。司婚・誓いの言葉。記念念珠授与。指輪交換。新郎新婦焼香。媒酌人焼香。両家親族代表焼香。司婚者ご法話。式盃。祝盃(媒酌人挨拶・乾杯)。恩德讃。両家親族紹介。記念撮影。
という流れで進められます。


司婚者のご法話の中で藤澤量正先生の『歸三寳偈のこころ』という本の中から以下のお言葉をお話くださいました。
「むかしから、結婚は第二の人生の出発点であると言われているから、まことにめでたいことに違いはない。しかし、別の角度からみると、結婚によって、新しい苦が始まるとも言えるんだよ。いままでは、いつも親が控えていたから、深刻な問題にならなかったことでも、これからは何かにつけて、すべて自分の責任によって生きてゆかねばならないだけに、いろいろと悩みも生まれ、戸惑うことも出てこよう・・・・。でも、考えてみると、いろいろなことを経験することによって、人生そのものにあうことができるのだし、さまざまな苦しみや悩みを体験してこそ、人間そのものが育てられるとも言える・・・・。もしも人生の岐路に立ったときとか、どうしていいか分からぬ場合には、何よりも先ず佛法に相談しなさい。どこに問題があるか、どう生きるのが本当なのかを、きっと教えてもらうことができよう。これからも佛法のお育てをいただいて、どんななかからでも信をよろこぶ身にならせていただく、そういう気持ちをかためてこそ、結婚そのものが<めでたい>と言えるんだから・・・・。
 いま、長年お育ていただいた如来さまに結婚の報告をさせていただき、このお寺とのお別れをさせていただいたが、もともと佛法を聞く身には、別れというものはない、つねに「倶会一処」と思わせていただこう。そして、お前が、夫となる人とともに、一層聴聞の場をひろげ、しんけんに聞法してくれたら、まちがいなく<芽の出る人生>となるだろうし、明るい道が開かれることだろう・・・・」
 私は、涙をためながら、いくたびもうなづいて聞いてくれた娘とともに、話していた自分までが、このみ教えに遇うことのできた幸せをしみじみ思ったことでした。」

と、藤澤先生が嫁がれる娘さんに語られたお言葉を朗読してくださいました。


素晴らしい結婚式のご縁を頂戴いたしました。
「長年お育ていただいた如来さま」何と心地よい響きの言葉でしょうか。親から子へ、子から孫へ。膝に抱かれて手を合わせ、背中を見ながら手を合わせた日々。
離れていても「南無阿弥陀仏」のお念仏の中に出会わせていただける「倶会一処」の世界が浄土真宗のありがたいところでもあります。
嫁ぎ先の新たな場所で、新たな家族とともに手を合わせ、お念仏申し、ご門徒のみなさんと共にお聴聞させていただける日々を大切に過ごして欲しいものです。

新郎新婦
母から新婦へ  お化粧仕上げ
祝 菓子