法のたより〔269〕
損得(そんとく)で生きるか? 尊徳(そんとく)で生きるか?
親鸞聖人のお誕生日は承安3年(1173)5月21日(旧暦4月1日)ですから、今年でご誕生852年になります。
親鸞聖人は主著『顕(けん)浄土(じょうど)真実(しんじつ)教(きょう)行(ぎょう)証文類(しょうもんるい)(教行信証)』教(きょう)文類(もんるい)のはじめに、
浄土真宗の教えの特徴を
「つつしんで浄土真宗を案ずるに、 二種の回向(えこう)あり。 一つには往相(おうそう)、 二つには還相(げんそう)なり。」と示されています。
現代語訳すると、
「つつしんで、 浄土真宗すなわち浄土真実の法をうかがうと、 如来より二種の相が回向されるのである。 一つには、 わたしたちが浄土に往生し成仏するという往相(おうそう)が回向されるのであり、 二つには、 さらに迷いの世界に還って衆生を救うという還相(げんそう)が回向されるのである。」
思い通りに行かない迷いのこの世から悟りのお浄土へ生まれさせていただくこと、これを往相と名づける。そしてお浄土で留まるのでなくて悟りを開いた仏のはたらきとして、迷いのこの世へ還って残して来た者たちを救いの道へと導くこと、これを還相と名づける。この往相も還相も阿弥陀如来の本願力の大きなはたらきによるものなのである。ということです。
そのことを
親鸞聖人が九十歳に書かれたといわれる「御臨末(ごりんまつ)の御書(ごしょ)」のなかで
我(わ)が歳(とし)きはまりて、安養浄土(あんやうじやうど)に還帰(げんき)すといふとも、
和歌(わか)の浦曲(うらわ)のかたを浪(なみ)の、寄(よ)せかけ寄(よ)せかけ帰(かへ)らんに同(おな)じ
一人(ひとり)居(ゐ)て喜(よろこ)ばは、二人(ふたり)と思(おも)ふべし、
二人(ふたり)居(ゐ)て喜(よろこ)ばは、三人(みたり)と思(おも)ふべし、
その一人(いちにん)は親鸞(しんらん)なり
我(われ)なくも法(のり)は尽(つ)きまじ和歌(わか)の浦(うら)
あをくさ人(ひと)のあらんかぎりは
弘長(こうちやう)二歳(にさい)十一月(じふいちぐわつ)
愚禿(ぐとく)親鸞(しんらん) 満(まん)九十歳(くじつさい)
と、綴っておられます。


その心を、前住職の龍谷大学の同級生でした相愛大学元学長・中西(なかにし)智海(ちかい)先生は
人は去っても、その人の微笑(ほほえ)みは去らない。
人は去っても、その人の言葉は去らない。
人は去っても、その人のぬくもりは去らない。
人は去っても、拝(おが)む手の中に帰ってくる。
と、分かりやすくあたたかい詩で表現してくださいました。
今月の掲示板の法語は、
「損得(そんとく)で生きるか。尊德(そんとく)で生きるか。」と掲げています。
損か得か。儲かるか儲からないか。自分にとって都合がいいか都合が悪いか。自分の利益だけを考えて生きるのか?
それとも尊徳、阿弥陀如来のお慈悲に少しでも近づくように德を尊んで生きる。お互いを尊んで生きる。自分の事ばかりでなく、相手の事、状況、立場に思いを至らせて事に当たるか?
阿弥陀如来とご一緒に先人の方たちが還相回向とおはたらきくださるお慈悲を受け止めながら、損得でなく、尊徳を大事にしながら日々を大切に過ごして参りましょう。
そして、先に旅立たれた方々のご恩を偲び、永代経法要にご参詣ください。

