法のたより〔243〕
*親鸞聖人の宗教 1、他力本願
今年は、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の節目の年です。3月29日から5月21日まで西本願寺にて大法要が勤まります。改めて親鸞聖人を讃仰させていただきたく、3回(3月、4月、5月)にわたって稲垣瑞剱先生の「親鸞聖人の宗教」を掲載いたします。御熟読ください。
親鸞聖人の宗教 稲垣瑞剱
哲学者にしても、宗教家にしても、絶世の偉人といわれる人を知ることは、容易の業ではありません。お釈迦様にしましても、キリストに致しましても、その思想と信仰を知って、それが自分の日常生活の血となり、肉となるまで研究することは、実に一生涯の大事業であります。
わが祖、親鸞聖人またその種のお方であります。人生の悩みを悩み抜いて、病める胸を抱えて、親鸞聖人のみ教えの下に跪く人は、真に親鸞聖人の温かい涙を通して、如来の大慈悲心に触れ、そこに人生の苦悶は煙の如く消え、永遠の真生命を克ち得て、復活の思いがあるのでありましょう。
しかしながら、さらに進んで、聖人の、あの痛烈なる自己反省と、深刻なる罪悪感のうちに、如来の光明に抱かれて「ああ、慶ばしき哉」と、人生の凱歌を挙げられるに至ったその思想の大系と、教義の泉を遡って、これを探るということになりますと、それはなかなか容易な事ではありません。仰げばいよいよ高く、切ればいよいよ固しとは、実にわが祖、親鸞聖人の思想と大信心の世界であります。
今日世間でよく使われている言葉に「他力本願」というのがあります。時々世間の人は、「それは他力本願だね」「他力本願では駄目だ」「自分でやらなきゃ駄目だ」とか言って、まるで「他力本願」ということが自分で努力しないで、遊んで手をこまねいていて、そして甘いことがまるで棚からぼた餅のように降って来るのを待ち望んでおる意味に解しておるようでありますが、これは大きな間違いであります。
親鸞聖人は、藤原家のおん生まれでありまして、四つの御歳に父と別れ、八つの御歳に母と別れられ、
明日ありと おもうこころの あだ桜
夜半にあらしの 吹かぬものかは
と、一首の歌を詠ぜられまして、それから比叡山に登り、満20ヶ年の間、苦しい御修行をあそばされたのであります。
その間、心の平安と光明とを見出すべく、あるいは奈良に出て、あるいは聖徳太子の御廟に参詣し、あるいは京都六角堂へ、毎日きらら坂を下りて百日の参籠をせられたのでありました。その後、法然聖人の門に入られ、懇篤なるみ教えによって、初めて他力易行の真精神を体得せられ、ここに初めて万劫の渇きをいやし、人生の最大事を解決せられたのであります。
親鸞聖人は、申します通り、辛苦艱難幾十年の後、如来大悲の御恩を感じ、慶びの涙を流され、人生は苦は苦ながらに光明の天地に出られたのであります。
聖人は、その後といえども、決して今日の人々が誤解しておるような「他力本願」を当てにして安逸に暮らすことが出来ようとも、また安逸に暮らそうとも思われなかったのであります。たとい大信心に入られましてもこの世にあるうちは、人生は苦であります。「人生は苦なり」と知りつつ、努力と忍耐によりて、強く、正しく、生活しようと決心せられたのでありました。
聖人といたしましては、如来の光明によって、如来の大慈悲心と、罪深きあさましき自己とを発見されました。自己の発見は同時に如来の発見であります。この発見こそ真生命の発見でありまして、安心立命の大安住境なのであります。これが取りも直さず親鸞聖人の大信心であり、信心の生活であります。
聖人の信心の生活は、すなわち報恩の生活であります。聖人は『和讃』に、
「如来大悲の恩德は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩德も ほねをくだきても謝すべし」
と詠まれました。まことに聖人の御一生は、苦しい悲惨な人生苦を経験しつつ、
「慶ばしい哉、大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至德の風静かにして、衆禍の波転ず。」
と、『教行信証』の「行の巻」において述べておられます如く、人生の凱歌を挙げ、救われたよろこびを述べつつ歩まれた報恩謝德のご一生であります。
また、聖人は「正信偈」をお作り遊ばされまして
「我もまた かの摂取の中に在り、煩悩に眼障えられて見たてまつらずといえども、大悲倦きこと無くて常に我を照らしたまふ」
と詠われております。
この慶びと報恩の精神とは、精進努力の源であり、真生命の力でありまして、怒涛逆巻く人生の苦海も、嵜嶇羊腸たる人生の険路も、立派に押し切ってゆくことが出来るのであります。真に他力本願に蘇えられた聖人のご一生の歴史は、如実にこれを証明しておるのであります。聖人には片時も安逸遊惰の生活はなかったのであります。
「勿体なや、祖師は紙衣の九十年」
と、句佛上人が詠まれましたが、まことにその通りであります。
また聖人が彼の日野左エ門に一夜の宿を断られて、門前において雪の降る夜に、石を枕としてお休みになったご苦労を想いうかべて、赤松連城師は、今日のわれらも大いに奮励努力しなければならぬといったこころを
「石を枕雪をしとねの いにしえを しのぶこの身は うづみ火のもと」
と詠われたのであります。
聖人の流れを汲むものは、もちろん、宗派の如何を論ぜず仏教徒たるものは、弘法大師、法然聖人、道元禅師、日蓮上人、親鸞聖人、蓮如上人などの、祖師方の御苦労を偲んで、奮起一番、道のために、仏法のために、人類平和のために、大いに努力しなければならないと思います。
親鸞聖人は、また『和讃』に、
「たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
佛の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」
と、仰せられ、善導大師は、
「人生精進せざるは、たとへば樹に根無きがごとし。」
と言われました。そこで私は親鸞聖人の宗教は、正しい信心を得るためには努力しなけらばいけない。報恩の上からは更に奮励しなければならない。すなわち、聖人の宗教は、努力の宗教であると申し上げたいのであります。つまり「他力」とは、遊んでいてもよい、という意味ではなくて、聖人は『教行信証』において、
「他力とは如来の本願力なり。」と仰せられました。
如来の本願力、すなわち如来の大慈悲心を感得し、如来の智慧の不可思議功徳を仰いで、真に心の平和を与えられることを「他力」というのであります。
私も何十年という永い間、心の平安を見出すために苦しみ、もがいたのでありましたが、心に真の平和なく、信仰なくして、どうして一身の平和、一家の平和、世界人類の平和をもち来たすことが出来ましょうか。正しき真の信仰は、心の平和であり、慶びであり、感謝であり、報恩行としての努力であります。
ややもすると、世間の人は、念仏はお爺さん、お婆さんの信ずる宗教で、どことなく陰気で、暗い影がさしておるという人がありますが、如来の大慈悲心に蘇えった生活ほど、朗らかで、楽しい、慶ばしい生活はありません。
『歎異抄』をお読みになった方は、『教行信証』を拝読せられて、聖人の雄大なる自然の、力強き思想と大文字に接せられることを切望いたします。力と慶びと生命とを青年諸氏は必ずや見出されるでありましょう。
「世の無常 さとりつくして 春彼岸」であります。
嵜嶇:世渡りの厳しく困難なさま。
羊腸:羊の腸のように、山道がいく重にもくねり曲がっているさま。