法のたより〔244〕
*親鸞聖人の宗教 2.悪人正機
今年は、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の節目の年です。3月29日から5月21日まで西本願寺にて大法要が勤まります。改めて親鸞聖人を讃仰させていただきたく、3回(3月、4月、5月)にわたって稲垣瑞剱先生の「親鸞聖人の宗教」を掲載いたします。今回は第2回です。御熟読ください。
親鸞聖人の宗教 2 稲垣瑞剱
『歎異鈔』をお読みになったかたは、第1章に、
「他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆえに。」
という御文のあることを御承知でありましょう。また第3章に
「善人なほもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」という有名な句のあることも御記憶でしょう。
又、同じ第3章の終わりに、「悪人もとも往生の正因なり。」という句のあることも御承知でしょう。ついには「悪人正機」という熟語もいつしか出来たのでありますが、これも世間で誤解せられておるようであります。
「悪人正機」と言えばとて、悪いことは仕放題、いくら悪いことをしても構わぬ、阿弥陀様は、お救い下さるのだといった意味に解しておられる方があります。甚だしきは、真宗門徒の中にも、間々、そんな風に、得手に聞いて、勝手に振舞っておるものがあるやに聞いておりますが、とんでもない大間違いであります。
『末燈鈔』に、親鸞聖人は、それを深くお歎きになって、くれぐれも誡められておられます。聖人が申されますには、
「凡夫なればとて、何事も思ふ様ならば、盗みもし、人をも殺し、なんどすべきかは、もと盗み心あらん人も・・・・もと僻うたる心をも思ひなほしてこそあるべきに、其のしるしも無からん人々に、悪、くるしからずといふこと、ゆめゆめあるべからず候」と仰せられ、また、
「人の為にも腹くろく、為まじきことをもし、言ふまじきことをも言はば、煩悩に狂わされたる儀にはあらで、わざと為まじきことをせば、返す返すあるまじきことなり」と仰せられ、また、
「この世の悪きをも棄て、あさましき事をも、為ざらんこそ、世を厭い、念仏申すことにては候へ・・・・されば善導大師の御教には「悪を好む人をば敬ひて遠ざかれ」とこそ至誠心の中には教へおかせ、おわしまして候へ。」と仰せられ、更にまた、
「わざと為まじき事共をもし、思うまじき事どもをも、思ひなどせんは、よくよくこの世の厭はしからず、身の悪しき事をも、思い知らぬにて候へば、念仏に志もなく、仏の御誓いにも志の在しまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御志にては、順次の往生も、難くや候ふべからん。よくよくこの由を、人々に、聞かせまいらせ、させたまふべく候。」と仰せられ、また、
「無明の酒に酔ひたる人に、いよいよ酒を勧め、三毒を久しく、嗜み食ふ人に、いよいよ毒をゆるして、好めと申しあうて候ふらん、不便のことに候。」と仰せられてあります。その他、かずかずの御誡めがあります。
たとい仏教徒でなくとも、人間である以上、何人といえども、「正直」と「勤勉」と「親切」でやらなければ、人として値打ちがありません。まして仏教徒たるものは、「正直」と「勤勉」と「親切」でやることが、「因果業報」の教えにもかない、またお釈迦様のみ教えにも契うわけでありまして、是非とも、心掛けて、しなくてはなりません。
その上に、「学問」と「道徳」と「信仰」と、この「学」「徳」「信」をモットーとして、人一倍、奮励努力しなければ、お釈迦様に対しても、それぞれのお祖師方に対しても、面目ない次第であります。それから「学」「徳」「信」の上から、人生の苦界に悶え、漂いつつある多くの同朋を思うとき、燃ゆるが如き「熱意」を以って、大聖釈迦牟尼如来のみ教えを普く伝えるため励まなければならないと思います。これが僧侶たるものの第一のつとめであります。そうすることにおいて、やがて真仏弟子たるの光を、広く遠く及ぼすことが出来ましょう。
親鸞聖人は、聖徳太子を尊敬し、信奉なさいまして、太子の十七条憲法の精神を身に体しておられました。そして「和を以て貴しと為し」、篤く「仏」と「法」と「僧」との三宝をお敬いになり、太子を「和国の教主」として、常に帰依しておられました。すなわち『和讃』の中にあります「皇太子聖徳奉讃」11首に、特にそれがあらわれております。
帰依三宝につきましては、聖人は『教行信証』に「華厳経」を引かれまして、帰依三宝は純粋の信仰により、自然に発露し、また帰依三宝を基調として、純粋の信仰に入ることが出来る旨を述べられまして、真実の信心の内容の如何に深く大いなるものであるかを、お示しになっておられます。
仏教は、大乗、小乗、頓教、漸教、顕教、密教など、いろいろに分かれておりますが、それが仏教である限り、因果業報の問題、生死の問題、仏・法・僧三宝の問題を基本とした転迷開悟の教であります。
親鸞聖人の20ヶ年の御修行は、御承知の通り比叡山でせられたのでありますが、比叡山は当時、表は天台宗でありますが、実は仏教の総合大学でありまして、天台宗、真言宗、禅宗、律宗などの学問より、華厳も唯識も小乗教も研究したものであります。
親鸞聖人はもとより法然聖人同様に、それら一切の学問をせられ、その奥義を極められたのでありました。しかしながら「真如法性」といった宇宙の大真理、今日の言葉で申しますならば、カントの物自体、ヘーゲルの絶対的絶対者の如何なるものであるか、それを手に握ることが出来なかった。また法則それ自体、意識それ自体、生命それ自体を、御釈迦様のように、はっきりと掴むことが出来なかった。また達磨大師のように、自分の心、それ自体をも見究めることが出来なかった。且つまた、四弘誓願にありますように、
「衆生は無辺なれども誓って度せんことを願う、煩悩は無数なれども誓って断ぜんことを願う」といった真実自力の大菩提心を起こすことが出来なかったのであります。
それ故、後になって親鸞聖人は、その心境を告白せられまして、『和讃』に
「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚はいかでか発起せしむべき」
と仰せられ、また、
「罪業もとよりかたちなし 妄想顚倒のなせるなり
心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき」
と歎かせたまい、更にまた、如来の光明によりて、欺かざる自己を照らし出されては、
「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし」
と、反省し、悲歎されたのであります。この真実の声は、人を動かさずにはおきません。哲学的のあらゆる思索と学問とを為し終わって、人生の苦しみを十二分に味われた後に、発せられたこの真実の声は、これぞ如来の光明、大智、大悲の泉より流れ出た声であります。
聖人の如く、真に欺かざる自分を見詰めた人は稀であります。真実の救いの道は、この所より開け来るのであります。また実に救われし光明の声は、一面悲歎の声なのであります。
「この世が浄土だ、われは仏だ」といって、自分もごまかし、他をも欺いている人に、真の救いは来ないのであります。心の平和は来る時がないのであります。