法のたより〔246〕
*水の形は? 器に応じて形を成す
今から9年前の平成26年11月16日、奈良県川上村で「第34回全国豊かな海づくり⼤会〜やまと〜」が開催された。山間地での「豊かな海づくり大会」とは?と、頭を傾げたが、川上村は、水源地・源流の村づくりに取り組んできた所である。だから大会のテーマも「豊かなる森が育む川と海」。
山に降り注いだ雨が山に森に、そしていつしか川となって山から村へ町へ、そして海に注ぎ込んでいきます。その海の水が水蒸気となって野山に降り注いでいきます。地球規模の大きな大気の循環、海流の循環が行われています。
その中心となる水に形はあるのでしょうか?あるともいえるし、無いともいえます。器に応じて変化していきます。また南極や北極では氷となって形を現しています。
この水と氷の性質を巧みに使った親鸞聖人の和讃があります。曇鸞大師を讃えた和讃の一首です。
無礙光の利益より 威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる (現代語訳)
阿弥陀仏の無礙光のはたらきにより、広大ですぐれた功徳をそなえた信心を得ることで、必ず煩悩の氷が解けてさとりの水となる。
淨教寺で『歎異抄講座』を担当していただいている井上見淳先生のご本にこんな一節がありました。
「北の国から」というドラマをご存知ですか。北海道の富良野に暮らす父親(黒板五郎)と息子(純)と娘(蛍)との三人の人生をおよそ20年にわたり撮り続けた稀有なドラマです。どれも印象深いですが「‘95秘密」という一篇は特にこころに残っています。
ある日、まじめで優しかった娘の蛍が、勤務先の病院の医師と駆け落ちしてしまいます。先方の妻や息子が、父の五郎や兄の純のもとをたずね、家族がいかに苦悩しているかを伝えます。その兄の元に突然、痩せこけた顔で現れた蛍は、静かな口調で、金の無心をして去っていきます。最後に蛍のもとへ五郎と純がたずねていった時、やはり彼女はどこかクールな感じでした。
しかし最後に横なぐりの雪の中、世間からまるで独りになったかのような背中で、とぼとぼと戻っていく娘の小さなうしろ姿を見た父が、思わず声を限りに叫びました。「蛍!いつでも、富良野に、帰ってきていいんだからなあ」この声が聞こえた時、彼女はこらえきれず、走り戻ってくると、父にしがみつき堰を切ったように泣きじゃくり始めました。そして謝罪と自身の苦悩の日々について、言葉を吐き出し続けるのでした。
彼女の凍てついたこころを溶かしたのは、世間がたとえ全員背を向けても、帰ってこい。という父のあたたかさでした。
あたたかい親心にふれた時、凝り固まった煩悩のこころ(欲、怒り、ねたみ)がとかされていき、今までの自分のあり方を恥じ、懺悔の姿へと転じられていくのです。
阿弥陀如来の南無阿弥陀仏(どうぞお願いだから、私にあなたを助けさせておくれ)との大悲の呼び声は、煩悩を離れることが出来ない凡夫を目当てにはたらいてくださいます。逃げる凡夫をうしろから追いかけて、抱き摂め取とって下さいます。どんなに背を向けようともひとたび摂め取ったならば、二度と手放すことはありません。
この「摂め取って捨てない」という阿弥陀様の大いなる智慧と慈悲におまかせしていくことが出来るのです。そして阿弥陀様の菩提の水に、凡夫の煩悩の氷が溶かされていくのです。大きな大きな阿弥陀様の凡夫を思うやるせないお慈悲のおはたらきです。