法のたより〔247〕
*氷上の蠟燭(諸行無常)
お釈迦様の真理のことばに
まこと、この世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことなし。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。(ダンマ・パダ5偈)
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(ダンマ・パダ130偈)(『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)
と、あります。
今から78年前の昭和20年のこの時期から8月15日の終戦を迎えるまで連日、日本のどこかでB29爆撃機が飛来し、焼夷弾を落とし多くの民間人が犠牲となり街が焦土と化していきました。8月6日の広島、8月9日の長崎に落とされた原子爆弾のことは話題となりますが、日本各地での空襲の状況は取り上げられませんし、ローカルなものとして忘れ去られている事のほうが多いと思います。
奈良には空襲がないと思っていましたが、前住職の思い出は、「戦時中は食べるものもなくひもじい思いをして過ごしました。またある時、戦闘機の機銃掃射に追いかけられて危ないところでした。」との話を聞いたことがあります。調べてみますと、昭和20年6月から8月にかけて奈良県内12箇所で空襲、機銃掃射で31名の方が亡くなり122名の方が負傷されたとの報告がありました。また前住職の思い出は、「7月22日、奈良駅付近に空襲、機銃掃射による負傷者が発生した。」という事例のようです。
住職のふるさと、新潟県長岡市では毎年8月2日・3日と「長岡大花火」としてにぎわいますが、この花火も戦争と無縁ではなかったのです。
長岡まつりに想いを込めて(長岡花火HPより)
毎年華やかに繰り広げられる「長岡まつり」
その起源は、長岡の歴史に刻み込まれた、最も痛ましい、あの夏の日に発しています。
昭和20年8月1日。その夜、闇の空におびただしい数の黒い影―B29大型爆撃機が来襲し、午後10時30分から1時間40分もの間にわたって市街地を爆撃。
旧市街地の8割が焼け野原と変貌し、燃え盛る炎の中に1,488名の尊い命が失われました。
見渡す限りが悪夢のような惨状。言い尽くしがたい悲しみと憤りに打ち震える人々。
そんな折、空襲から1年後の昭和21年8月1日に開催されたのが、
長岡まつりの前身である「長岡復興祭」です。
この祭によって長岡市民は心を慰められ、励まされ、固く手を取り合いながら、
不撓(ふとう)不屈(ふくつ)の精神でまちの復興に臨んだのでした。以上HPより
怨みに報いるに怨みをもってすることなく、怨みを捨てて、言い尽くしがたい悲しみと憤りを長岡の街の復興に思いを切り替えて、伝統である花火にこめて戦後復興の励みにしていかれたのでしょう。
各地の「この悪夢のような惨状」を聞き、語り継ぎながら平和を願い、「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」との御釈迦様のお言葉を胸に、自分の身に引き寄せて(自分の問題として)平和を考え、平和を念じ続けたいものです。
ぜひ、8月6日・8時15分と8月9日・11時2分からの広島、長崎の原爆投下時間に合わせて淨教寺境内の鐘を撞いて平和を願う「平和の鐘」にご参加ください。