奈良 淨教寺

2023年(令和5年)10月の法話

のりのたより〔250〕

佐々井ささいしゅうれいという僧侶(1935・昭和10年生まれ)

親鸞聖人が七高僧と尊ばれた高僧の第一番目の方が「龍樹りゅうじゅ菩薩ぼさつ」です。
その龍樹菩薩の伝説の中で以下のような記述があります。

天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て襲われてしまった。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家しようと決心した。

それから仏教を極め、大乗仏教の「空」の思想を大成され「八宗の祖師」とよばれました。

 

佐々井 秀嶺上人

今年88歳(昭和10年(1935年)生まれ)になる佐々井秀嶺氏も、龍樹菩薩のように若い頃は、「欲望が強すぎる少年時代」、「色情因縁に苦しみ、自殺未遂3回」などの末、大菩薩峠で倒れたところを大善寺住職・井上秀祐師に助けられ寺男として修行。1960年(昭和35年)井上師の紹介で高尾山薬王院第31世貫首、山本秀順師の許で得度。法名「秀嶺」を授かる。そしてタイへの留学推薦を受けタイに渡るも、またそこで「タイの僧院で三角関係のもつれから、女性にピストルを突きつけられる事態に」。日本へ帰ることもできず、インドへ渡ります。そこで『仏説無量寿経』『法華経』の説かれた霊鷲山への途中、多宝山へ平和塔を建設している八木天摂師に出会い教えを受けます。昭和42年(1967年)日本へ帰ろうとした矢先、龍樹菩薩の夢のお告げを受けます。

佐々井秀嶺上人のことが よくわかる本

「我は龍樹なり汝速やかに南天龍宮城へ行けの法城は我が法城我が法城は汝が法城なり汝速やかに南天龍宮城へ行け南天鉄塔もまたそこに在らん」というものでした。

彼岸花

南の、龍=ナーグ、城=プールではないかと思った佐々井さんは単身ナグプールに渡り、そこで暮らすダリット(不可触民)の過酷な生活と、アンベードカル博士が種をまいた多くの仏教徒を目にします。

何の頼りにするものもないナグプールで、貧しい人々の救いを念じて村を回っても、得体の知れない東洋人と石を投げられ、見向もされない中で、佐々井上人は「8日間の断食・断水」を決行します。40度を超えるインドの大地で3日目には意識が朦朧とし、最後には死臭が漂っていたそうです。そんな中「すごい日本人僧がいる」と、話題なり、達成した時には「日本人は嘘をつかない」と信頼され「安心して修行してもらうお寺を作ろう」とダリットの人々に迎えられていきました。

お釈迦様の教え「人は生まれによって、卑しいとか、尊いとか決まるのではなく。それぞれの行いによって卑しくもなり、尊くもなるのである」という平等の教えを説いてダリットの人々をカーストの差別から開放していきます。

三千年前から「人間扱いされなくて当然」と言う考えを押し付けられてきたダリット(不可触民)の人々が「同じ人間なのにどうして差別されるのか?ヒンドゥーのカースト制度はおかしい」と疑問を持つようになったことは革命的な出来事なのです。

さらに佐々井上人は貧しい仏教徒のための学校を作ったり、女性のための就職予備校を開いたり、身寄りのない老人のために無料の養護院や病院を建て社会事業も手がけていかれました。

仏教寺院、仏教僧、仏教に改宗する人々が増えていき、アンベードカル博士の遺志を継いだインド仏教復興・改宗運動も50年を越え、現在インドの仏教徒の数は1億5千万人を超えるとも言われています。その頂点に立って活動を続けておられます。

しかし、それを善しとしないヒンドゥー教徒やそれに類する勢力からの妨害もあります。食事に毒を盛られたり、集会で高いところから突き落とされそうになったりと暗殺未遂を3回も経験している、まさに命がけの日々です。

また、その間に龍樹菩薩ゆかりのマンセル遺跡の発掘。ヒンドゥー教徒が管理しているお釈迦様お悟りの地ブダガヤの仏教徒管理主権の奪還闘争。核実験反対運動で首相官邸へのデモ行進。など精力的に活動をされています。

ヨウシュヤマゴボウ

来年(2024年)2月下旬インド・ナグプールの佐々井秀嶺上人の暮らす「インドラ寺」「龍樹菩薩ゆかりのマンセル遺跡」「お釈迦様ゆかりの6大仏跡」を巡ります。

ぜひ、ご一緒いたしましょう。