2024年5月31日 法話 2024年(令和6年)6月の法話 法のりのたより〔258〕 提婆達多(ダイバダッタ) 俳優として活躍された樹木(きき)希林(きりん)さん(2018年(平成30年)9月15日寂75歳)の『一切なりゆき~樹木希林のことば~』(文春新書57頁)に 私は「夫は私にとって提婆達多(だいばだった)みたいなものだ」という表現をしています。提婆達多はお釈迦様の従兄弟で、最初は同じ教団内で活動していたものの、やがて反逆し、お釈迦様を殺害しようとまでした人物です。しかしお釈迦様は、提婆達多がいたからこそ、見えてきたものがあるとおっしゃっています。自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。つまり私は、夫という提婆達多がいたからこそ、今、こうして穏やかに生きていられるのかも知れません。という文章があります。 樹木希林さんは東京の千代田女学園(浄土真宗系の龍谷総合学園に属する中学・高等学校)の卒業で、仏教・浄土真宗にも理解の深いお方でした。 蓮の蕾 クロスジギンヤンマ 親鸞聖人の主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』総序の以下のご文を学ばれたのでしょう。しかればすなはち浄邦(じょうほう)縁熟(えんじゅく)して、調達(ちょうだつ)(提婆達多)、闍世(じゃせ)(阿闍世(あじゃせ))をして逆害(ぎゃくがい)を興(こう)ぜしむ。浄業機(じょうぎょうき)彰(あらわ)れて、釈迦(しゃか)、韋提(いだい)をして安養(あんにょう)を選(えら)ばしめたまへり。これすなはち権化(ごんけ)の仁(にん)、斉(ひと)しく苦悩(くのう)の群萌(ぐんもう)を救済(くさい)し、世雄(せおう)の悲(ひ)、まさしく逆謗闡提(ぎゃくほうせんだい)を恵(めぐ)まんと欲(おぼ)す。(現代語訳:ここに、 浄土の教えを説き明かす機縁が熟し、提婆達多が阿闍世をそそのかして頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を害させたのである。 そして、 浄土往生の行を修める正機(しょうき)(正しき相手)が明らかになり、 釈尊が韋提希をお導きになって阿弥陀仏の浄土を願わせたのである。 これは、 菩薩がたが仮(かり)のすがたをとって、 苦しみ悩むすべての人々を救おうとされたのであり、 また如来が慈悲の心から、 五逆(ごぎゃく)の罪を犯すものや仏の教えを謗るものや一闡提(いっせんだい)(無関心)のものを救おうとお思いになったのである。) モンシロチョウ ホシミスジ 有名な「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇(ひげき)」のあらましが述べられています。悲しい出来事ですが、この提婆達多が阿闍世をそそのかすという事件が無かったら父王(ふおう)の頻婆娑羅王も后(きさき)の韋提希夫人(ぶにん)も王子の阿闍世も阿弥陀仏の浄土を願うことは無かったでしょう。だからこそ親鸞聖人はこの事件に関わった人々は善きにつけ悪しきにつけ「権化(ごんけ)の仁(にん)」(菩薩がたが仮のすがたをとったもの)と位置づけられ、全てが私達一人ひとりの姿を見せてくださっているのである。と、受け止めていかれました。私たちもこんな怖い事件は起こすことは無いと、他人事に見、聞きしていますが条件が整えば何をするかわからないのが偽らざる私たちの本当の姿ではないでしょうか。超極悪人とされる提婆達多でさえも親鸞聖人は『浄土和讃』の中で「提婆尊者(だいばそんじゃ)」と讃えておられます。親鸞聖人のお言葉を通して、ご主人である内田裕也(うちだゆうや)さんとの関係を見つめ、「逆縁(ぎゃくえん)」によって人間が深まることを大切にして一生を生き抜かれた方が樹木希林さんの初めのことばに凝縮されているように思います。 カシワバアジサイ アジサイ