奈良 淨教寺

2024年(令和6年)10月の法話

のりのたより〔262〕

臨終の五ヶ条
お中日に咲く 彼岸花

毎日(まいにち) 余命(よめい) 

坊守のお友達がすい臓がんの宣告を受け、ステージ4で余命3ヶ月から半年と告げられたと悲しい顔つきで話してくれました。

お釈迦様は、いのちとは「吐く息、吸う息。吐く息、吸う息」の一瞬一瞬の積み重ねが「いのち」であるとも仰いました。そうすると、「毎日が余命宣告」と受け止めながら、出来ることを精一杯させていただく一日一日にしていかなければなりません。しかし、現実は平均寿命を当てにして「まだ大丈夫、何年ある。」と、日暮をしています。そんな私に、坊守のお友達の話は「あなたのいのちの行く末は大丈夫?」と警鐘を鳴らしてくれるものです。

稲垣瑞剱先生は、前住職(島田和麿)に色紙を書いてくださいました。

そこには、

 臨終(りんじゅう)は今(いま) 忘(わす)れなよ 臨終(りんじゅう)の五ヶ条 

絶対(ぜったい)暗黒(あんこく) 絶対(ぜったい)無力(むりき) 絶対(ぜったい)絶望(ぜつぼう) 絶対(ぜったい)孤独(こどく) 絶対(ぜったい)恐怖(きょうふ) 

和麿(かずまろ)様に贈(おく)る 瑞剱(ずいけん)

と書かれていました。

 

今、いよいよ命終わっていくとなったら、本当にお先真っ暗、暗黒の世界。抵抗する力もなし。生きる希望も、なんの望みもなし。そして誰も一緒に死んでくれません、一人孤独に死んでいくのです。どこに行くのか、どうなっていくのか分からない恐怖。

まさに臨終の五ヶ条です。

 

その私をご心配くださって、先手を掛けて

「心配するな、心配するな。大悲の親が護っておる。

摂取光中 弥陀のふところ。見てござる。護ってござる。待ってござる。」と、

「南無阿弥陀仏」のよび声となって呼び続けてくださっています。

その「南無阿弥陀仏」の大きな慈悲のおはたらきに護られ導かれながら「余命を生かされ、今が臨終」のいのちを、今日また生かされていることに御礼申しながら精一杯歩んで行きたいものです。

コムラサキ
ツルボ

親鸞聖人の歩まれた90年のご生涯は振り返ってみると困難の多い大変な時代を乗り越えていかれました。

ご和讃に

罪障(ざいしょう)功徳(くどく)の体(たい)となる こほりとみづのごとくにて

こほりおほきにみづおほし さはりおほきに德(とく)おほし

(現代語訳:罪のさわりは、 そのまま転じられて功徳となる。 それは氷と水にたとえられ、 氷が多いと解けた水も多いように、 罪のさわりが多いと転じた功徳も多い。)

とあります。順調に、何ごとも不自由なく行く道では、それが当たり前になってしまいますが、思い通りに行かない、自らの力ではどうにも出来ない状況の中で、いろいろな出会いがあり、親鸞聖人にとっては一生の豊作、師匠・法然上人との出遇いが人生を大きく変え、阿弥陀如来の本願力のはたらきに導かれていきました。

念仏禁制で流罪になられたときの法然上人のおことばに親鸞聖人は生きる大きな力をいただかれたことでしょう。そのことを『御伝鈔』には

 

もしわれ配所(はいしょ)に赴(おもむ)かずんば、何によりてか辺鄙(へんぴ)の群類(ぐんるい)を化(け)せん。これなお師教(しきょう)の恩致(おんち)なり。(現代語訳)もし私が流罪にならなければ、越後の国の人々に阿弥陀仏の本願を伝えられなかったに違いない。全ては法然上人のおかげである。

と、感慨を語られその後の越後、関東での伝道。『教行信証』の執筆と精力的な活動の原動力とされていかれました。

あらためて「報恩講」をご縁に親鸞聖人のご生涯を学び、自らの人生のお手本としたいものです。