法のたより〔272〕
戦後80年 戦争について
* お米 一億粒って どのくらい?
今年は昭和に換算すると100年。昭和20年に戦争が終わって80年の節目の年。各地で戦争関連行事が行われています。淨教寺では夏休み子ども会(7月26日)に戦争についてのお話、お米の一粒の大切さについてのお話をしてもらいました。
◎淨教寺島田和麿前住職は昭和9年2月8日生まれの91歳。終戦当時は11歳小学校5年生でした。当時の思い出です。
①三条通りを歩いていると爆音がして突然、戦闘機が急降下してきて通りを歩いている人めがけて機銃掃射を撃ち込んできたそうです。前住職も必死で物陰に隠れて何事もなく逃れましたが恐ろしかったとの事です。
②防空壕が猿沢池の52段の階段の西側に掘られていて、空襲警報が鳴ると夜中でも歩いてそこまで避難しないといけないので大変でした。
③とにかく食べ物が無くて、毎日ひもじい思いをしました。今こうしてお腹いっぱい食べられる事が有難い。母(島田千代前々坊守)がお野菜やお米を求めに行ってもなかなか思うように手に入らず大変苦労してくれました。
④本堂が昭和11年に失火で全焼して、再建中でしたが父(島田義昭前々住職)は応召され38連隊司令部に戦後まで勤務していました。
◎淨教寺島田孝子前坊守は昭和10年8月27日生まれの89歳。終戦当時は9歳小学校3年生でした。当時の思い出です。
①滋賀県能登川の光台寺に居りました。琵琶湖の加減か?境内に防空壕がありましたが水が沸いて使い物になりませんでした。
②必ず戦争に勝つものだと思っていました。そのように教えられて戦争に勝っている映像だけを見せられていました。
③「欲しがりません勝つまでは!」と教えられ、全く贅沢は出来ませんでしたし、する余裕もありませんでした。
④戦後、列車の窓からアメリカ兵がチョコレートなどを投げてくれるのですが、何が入っているか分からないから絶対に口にしてはいけないと言われてました。


◎6月23日沖縄慰霊の日・平和祈念公園
「戦後80年沖縄全戦没者追悼式」に参列して 島田和香子
沖縄戦では、24万人以上の方が亡くなりました。
当時の県民の数にして4人に1人が亡くなりました。
その多くは一般の住民でした。
なぜそんなことが起こってしまったのか。
アメリカ軍の日本本土への上陸をできる限り引き延ばすために、沖縄が激しい戦場となってしまいました。
迫り来るアメリカ軍に対して、日本軍の数があまりにも足りず、戦力を補うために一般住民が多く巻き込まれ、その中には14-19歳の生徒で結成された学徒隊といわれる方達が含まれます。男女あわせて2131名。
わたしが過ごしてきた学生時代と同じように、またいま現に学校に通い友達とおしゃべりをし、思いっきり遊び、勉強もがんばっている子どもたちと同じように、将来への希望を胸に生きていた彼らの人生は一瞬にして奪われました。
想像を絶する過酷な状況で、いつ命を落とすかもわからない、だけど銃弾が飛び交う中、お国のためにと走り続けないといけない、さっきまで隣にいた友達を突然失う、なによりも離れ離れになった家族に会いたい…
また、ガマの中で行われた集団自決も犠牲者の数を増やした要因のひとつです。
泣き止まない子どもを自らの手で殺めなければいけなかった母親のことを想像すると、ほんとうに胸が張り裂けそうになる。
そして、このような痛みは、住民たちのみならず兵士として戦うしかなかった人たちも同じだったはずです。
ひめゆり学徒隊を経験し、亡くなってゆく兵士の方たちを看取った方の証言の中で、忘れられないお話があります。
彼らが亡くなる直前、みなが口にする言葉は「お母さん」や「家族の名前」だったといいます。
事実を知るたびに、言葉にならない想いとともに涙が溢れます。同時に戦争に対する怒りが込み上げてきます。
戦争は、必ず人によってはじまります。
人の手によって止めなければいけないし、決してはじめてもいけません。
ですが今も世界のあちこちで終わらない紛争、戦争や、非人道的な虐殺行為が行われています。
産まれて間もない命までもが無差別に奪われ続けています。
“平和”という言葉が、消えてしまいそうな世界へ向かっていってしまっているのではないか、と感じます。
人々は平和を願い、安心できる世界を目指してきたはずなのに、なぜ同じ過ちを繰り返そうとしているのか。
わたしには考えても考えても分かり得ません。
“命どぅ宝”(ぬち どぅ たから)
どんな命もすべて平等にたからものなのです。
どんな理由があれ、奪ってはいけない。
わたしたちがいまここに命をいただけているのは、
戦争を生き抜いて、この時代まで繋げてくれた人たちがいたからです。
今年で戦後80年、戦争体験者の方々の高齢化などにより、戦争があった事実の風化が進んでいるといわれています。
そうさせないために、命を繋いでくれた人たちの想いをきちんと受け継いで、次の世代へも繋いで、守りつづけていかなければいけないと、さらに強くおもいます。
人の手が、誰かを傷つけるための道具になってほしくない。
常に誰かと支え合う、助け合うものであってほしいと思います。
まずは身近な小さな世界から。
愛と優しさと思いやりの輪が拡がりますように。




◎お米 1億粒ってどのくらい? 竹中良行さん
私は2キロのお米を買って食べています。2キロの袋にはどのくらいのお米の粒が入っているのか?みんなと一緒に数えてみたいと思います。お手伝いお願いします。
ここにお米を持ってきました。みなさんに10粒ずつ紙に入れて持ってきてもらいたいと思います。25人の子供さんが協力してくれました。250粒量ってみます。約5g(グラム)です。
そうすると2倍の10gで約500粒。100gで5千粒。1,000g(1㎏)だと5万粒になります。ということは2キロのお米の袋には約10万粒のお米が入っていることになります。
1億は、10万の1,000倍ですから、2キロのお米の袋が1千個、1,000袋に入っているお米の粒が1億粒ということになりますね。
スーパーに行って、実際に2キロのお米の袋を見て1,000袋並べたらどのくらいかな?と、想像してみてください。
1億ってメチャメチャ大きい数なのです。大きすぎてわけが分からないくらい大きい数それが1億なのです。
でも、もっとすごい数があります。私たちを護ってくださる仏さまは1億の100倍、1,000倍、1万倍、10万倍、100万倍、いやいやもっと多い1千万倍よりも、もっともっともっともっともっともっとすごい数の仏様がおられるとお経には説かれています。こんなことをお経にお書きになったお釈迦さまってすごいなと思います。尊敬します。


