奈良 淨教寺

2025年(令和7年)11月の法話

のりのたより〔275〕

仏教の時代観(末法の世) 

経道(きょうどう)滅尽(めつじん)ときいたり 

如来出世(にょらいしゅっせ)の本意(ほんい)なる
弘願(ぐがん)真宗(しんしゅう)にあいぬれば 

凡夫(ぼんぶ)念(ねん)じてさとるなり

 親鸞聖人のご和讃、『高僧和讃、善導讃』の一首です。


世界に宗教と名のつく教えは数え切れない程沢山あります。
しかし、どこに、自分の宗教はいつか滅びるなどと言う教えを説く教祖がいるでしょうか?
むしろ、自分の宗教こそが1番で、これさえ信仰していたら滅びる心配は無いから、この教えを信仰しなさい。
と言うところばかりでは無いでしょうか。


ところが、仏教は逆です。
経道(お釈迦さまの教えの道が)滅し、尽きてしまう。と言う衝撃的な予言をしているのです。
お釈迦さまが入滅(亡くなられて)されてから①500年は「正法」の時代と言われます。
正しく教えがあり、それを正しく修行し、それによって悟る人がある時代とされます。(即ち、教・行・証が正しく行われる時代)
②その後1,000年は「像法」の時代。正しく教えがあり、それを正しく修行するが、それによって悟る人が居なくなる時代とされます。(即ち、教・行のみが正しく行われ証が無い時代)
③正法、像法の1,500年を過ぎると「末法」と言われる時代に突入します。それが平安時代中期、1052年(永承7年)に末法が始まったと広く信じられていました。
そして、末法一万年と言われます。それが過ぎるといよいよ「法滅」の時代を迎えます。

まさしく、親鸞聖人がお生まれになられた1173年(承安3年)は、末法に入って100年余りが経ち、天変地異や疫病の流行、武士の台頭など、世の中が混乱する時代と重なっていたため、末法という時代への人々の不安が高まりつつありました。

時代がどんどん悪くなり、仏教を学び、信仰する人々が居なくなる。教えさえも無くなる。というこの末法思想は、浄土信仰が広まるきっかけとなり、人々が阿弥陀仏の力によって救われることを願うようになりましした。

親鸞聖人ご誕生から852年。
今はその末法に入ってから973年になります。どんどん五濁悪世が進んでいます。絶える事の無い戦争、テロ、コロナ、毒親、親子しまい等々しかし、そんな時代だからこそ法滅を迎えても、留めておく教えが弘願真宗(一切衆生を必ず救うという弘き大きな誓いこそが浄土への真実の道であるということ)であり、それこそが、如来出世の本意(お釈迦さまがこの世にお出ましになられた本当の意味)なのです。

その阿弥陀様の本願力を信じ、お念仏申すことのみが末法そして法滅の世を生きる私どもの唯一つの道なのです。
『仏説無量寿経』の中に
「当来の世に、経(きょう)道(どう)滅尽(めつじん)せんに、われ慈悲をもって哀愍(あいみん)して、特(こと)に此の経を留(とど)めて、止住(しじゅう)すること百歳(ひゃくさい)せん」と、あります。

『仏説無量寿経』のみを法滅の時代に入っても100年間は残しておこう。と言う文言です。がしかし、100という数字は万数ですから「永遠に、いつまでも」と言う意味にも理解できます。
また、私たちの人生100年の内にお念仏に出遇って下さい。と言う慈悲のおこころでもあります。
お釈迦さまの説かれたお念仏以外の教えは全て意味をなさなくなって行く時代にあっても、お念仏のみが私の唯一の救いになるということを、親鸞聖人が身をもってお示し下された浄土真宗の道というものがどれほど大切で時代に即応した教えであるかということを改めてお聴聞させていただきましょう。

ぜひ「報恩講」(淨教寺会館報恩講、お内仏報恩講)にお参りください。

 

中庭のキンモクセイ
マキの実
コミラサキ
フジバカマにヤマトシジミ(♂)