奈良 淨教寺

2026年(令和8年)8月の法話

のりのたより〔284〕

お 浄 土 の「 浄 」  
 お浄土とは、仏教で言う仏様のまします世界。極楽浄土とも表現されます。大乗仏教において、煩悩やけがれのない清浄な国土を指し、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣がなく、仏や菩薩が住む理想的な世界とされています。現世の穢土と対比され、衆生が悟りを得るために導かれる場所です。
 浄土真宗では、お浄土は阿弥陀仏の願いが形となった世界であり、阿弥陀仏はすべての人を救いたいという願いを持ち、その慈悲のはたらきによってお浄土が現れます。
 以前に梯実円先生からお聞きした梯先生のお師匠様・山本仏骨先生のお話です。


 争いの無い世界であるはずなのに、漢字では「サンズイ」に「争う」と書いて「浄」と言う字が成り立っています。それを疑問に思った門徒さんが山本仏骨先生に質問されたそうです。
 そこで先生は「サンズイ」は「水」を表わす。「水が争う」とは、どんな状態を想像しますか?と、門徒さんに質問されたそうです。門徒さんは首をかしげながら「冬の日本海の荒れる海の波しぶきを想像しました」と、答えられたそうです。
 山本先生は、「いいイメージですね。私は流れ落ちる滝を想像しました。山から流れ落ちる川の水が岩にぶつかり、木の根にぶつかりして最後は滝つぼに水しぶきを上げて落ちていく様子は、水と岩が、木の根が、水同士がぶつかり合って争っているように感じられますね。」
「その滝つぼの水はきれいな状態で川下に流れ、生き物の飲み水となり植物の潤いとなっていきます。」
「そこにはぶつかり合うという動きがあります。そうすることで絶えずきれいな状態に保つことが出来ています。」
「その反対に、ぶつかり合うことの無い静かな状態は、いいように思いますが、そのままの状態であれば、ため池の水もだんだんと濁って、澱んで藻がはえて臭いを発していくでしょう。」


「そういうことを考えると、浄とは争うというよりも「常に動いている状態」「何か働きかけている状態」を表わしているのではないでしょうか。」
『お浄土とは、遠い遠い遥か彼方にあるのではない。今この私に「阿弥陀はここに居るぞ」「南無阿弥陀仏となって、あなたの称える声の響きとなって、合わす手の中に(心配するな、心配するな。大悲の親が護っているよ!)と働きかけてくださっている」その姿を「浄」と言う字で表わしているのではないでしょうか。』
と、お話くださったそうです。


 門徒さんは、たいそう喜ばれて御礼を述べて帰られたそうです。そのことをヒントにその門徒さんは「浄化槽」を開発されたそうです。
  あつき日にながるる あせはなみだかな
      かきおくふでの あとぞおかしき  蓮如上人

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