奈良 淨教寺

淨教寺の歴史

ご由緒

宗祖 見真大師 親鸞聖人(1173〜1262)

親鸞聖人は、承安3年(1173) にご誕生になり、9歳で出家得度され、比叡山で学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見出すことができず、29 歳の時、聖徳太子の示現を得て、源空(法然)聖人に遇われ、本願を信じ、念仏する身となられました。

35歳の時、「承元しょうげんの法難」により、越後にご流罪となられますが、後にはご家族を伴って関東に移り、人びとと生活をともにし、自信教人信の道を歩まれました。晩年は京都で、ご本典(教行信証)の完成に努められるとともに、三帖和讃さんしょうわさんなど多くの著述にお力を注がれ、90歳を一期として往生の素懐を遂げられました。

淨教寺の開基(鎌倉時代)

『淨教寺由緒略記』によると、淨教寺開基の行延ぎょうえん法師は河内国八尾の庄司真野将監行延ゆきのぶといい、知勇兼備の武士であったが、浄土真宗開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元2年(1244)3月出家して、法名を行延と賜う。

寺紋 九耀菊水
第六世圓誓えんぜいの時、楠正成くすのきまさしげの弟・楠正季まさすえ/rt>の男、楠右近衛将監正忠うこんえしょうかんまさただの子、初陣に深手を負い、圓誓の養子となり、出家して空信くうしんと法名す。南朝光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所となる。爾来、淨教寺寺紋は「九耀菊水」となる。

大和郡山へ移転

十一世行心ぎょうしんの時(1530)大和郡山市西城村に移る。
戦国の末、石山本願寺籠城の際、十二世行春の忠節を尽した功により、天正19年(1591)顕如上人けんにょしょうにんから、御内仏の御本尊阿弥陀如来を拝領した。

徳川家康と南都移転

慶長8年(1603)徳川家康公から南都上三条の御赦免の寺地を頂戴して、淨教寺を現地に移した。西本願寺の役寺として南都七大寺や市中外寺院、奈良奉行、小泉城主片桐氏などへの連絡にあたっていた。

本堂の再建

昭和11年1月26日未明、旧本堂は不慮の失火により全焼。現本堂は昭和16年起工、昭和43年10月17日落慶法要。

ソテツと山門

境内の「ソテツ」は樹齢300年余。県と市の文化財の指定、「山門」と「掲示板舎」は平成17年、国の登録文化財の指定を受ける。

開創750年と庫裡落慶法要

平成6年(1994)10月8日・9日、西本願寺前門主大谷光照猊下御親修のもと開創750年記念庫裡落慶と蓮如上人五百回忌・顕如上人四百回忌法要を盛大に営む。

平成の本堂大修復工事(屋根瓦葺き替え)

平成27年(2015)10月17日・18日、西本願寺前門主大谷光真猊下御親修のもと本堂平成大修復工事落成慶讃法要・親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を厳修。

淨教寺ゆかりの人物

アーネスト・F・フェノロサ博士
Ernest Francisci Fenollosa

アメリカ・ハーバード大学出身の哲学者・経済学者・美術愛好家(1853〜1908)・明治11年〜19年(東京大学教授)

明治21年(1888)6月5日淨教寺本堂にて、奈良県知事、要人、市民500名を前に「奈良の諸君に告ぐ」という講演を行い、奈良の宗教・美術・文化の重要性とその保護の必要性を訴えた。

『…今日、この奈良に存在せる所の古物は、独り奈良一地方の宝のみならず、実に日本全国の宝なり。…世界においてまた得べからずの至宝なり。故に余は信ず。この古物を保存護持するの大任は、すなわち奈良諸君のよろしく尽すべきの義務にて、また奈良諸君の大いなる栄誉なり…」「奈良の諸君に告ぐ」より引用
博士は岡倉天心と共に荒廃する仏像・寺院の復興と発展に力を注いだ。

稲垣 瑞剱 先生
Zuiken Inagaki

法雷学派第四祖(1885〜1981)

明治18年(1885)10月5日生(姫路市)~昭和56年(1981)1月13日寂(神戸市)行年97歳。
関西学院高等部卒、主に本願寺関係学校成徳学園校長、理事長として教職に就かれて52年余、幼少の頃から学問にはげまれ漢籍、英文学、仏教学、東西の哲学のほか、とくに教行信証を中心とした真宗学や安心(あんじん)について、その深奥をきわめ、著述に伝道にその生涯を捧げられた。
主な著書に『教行信証大系』全7巻、『真宗玄義』、『死の解決』2巻、『世界の光・釈尊伝(英文)』、『英文歎異抄』、『安心の極意』全10巻ほか。

宗教とは、宇宙人世の根本的解決なり。仏法第一、親に孝行、人には親切。怨みと苦しみは、欲があるからだ。かぎりなき 大そらの智慧 かぎりなき 大うみの慈悲 われ安し つみもさわりも あるがままにて。いのちまさに終わらんとする時 のぞみ洋洋たり。雲にいる 鳥見るたびに思うかな 願に乗じて天翔ける日を。
「瑞剱先生のおことば」より

97歳のご生涯をひたすら仏教(浄土真宗)に捧げられた、学徳信熱の師。昭和25年から55年迄の30年間ご教化をいただいた。