明治11年、聘に応じて来日、東京大学で哲学・政治学・理財学を講じた。
同19年まで在職。そのかたわら日本美術を愛し、その研究に力を注ぎ、日本美術を再評価し、とくに日本画の復興に尽力した。同23年には勲三等瑞宝章をうけた。帰国後も東洋美術・哲学・文学の研究につとめ、ボストン美術博物館東洋美術管理者にもなった。ロンドンで没したが、生前に仏教に改宗していたので、骨を大津の三井寺法明院に埋めた。
フェノロサは、帰国のまえの明治22年に『日本美術論』を書き、そのなかで、奈良・大和の人に、その郷土はヨーロッパの古典世界とおなじである。そこにある美術品も、まさにギリシア・ローマの美術品とくらべてよいことを強調した。その著書発刊の前年に、淨教寺で、同主旨の講演をしているのは意義深いことである。
知事及び諸君、回顧すれば一周年前、余は欧州ローマの都府に遊び古物の研究をなしたり、然(しか)るに今また、日本のローマなる、此(この)奈良に来り、古物取調べに関し、諸君と相見るの栄を得たるものは、もことに偶然ならざるものあるが如く、余が深く歓喜するところなり。そもそも、美術と宗教に関し奈良はローマと何ぞその事の相似たるや。かのローマは今日のヤソ教(キリスト教)の古寺院多く存在せり。ローマは有名なる帝都なれども、一旦亡滅に帰せしより後は寥々として世に知れざることや久し。その隆盛の時に当りてや、人口百万の多きを有せしも、その極衰の時にありては、わずかに五千の人口をもつに至れり。この奈良の如きも、さしも有名の帝都なりしも、平安遷都の後は実に寥々の故国たるに過ぎずその形勢はローマ都府の衰時と一般の光形なり。しかれどもローマは奈良になき所の、非常なる好機会に遭遇するを得たり。好機会とは何ぞや。ローマ法王と中央ヨーロッパの諸王と連合し、ローマを以て中央ヨーロッパの都府となしたることこれなり。但し、奈良の如きは再び政権の中心たるを得ずといえども、なお宗教に関しては要用なる中心の地位をもちたり。而してローマが、政治上に、この幸福を有せしのみならず古昔の事物を探究して歴史宗教共に大いなる影響を及ぼせり。その故は、ローマに湮滅(いんめつ)せる古代の遺物を探究して歴史宗教共に大いなる発明をなし、文学風俗の改良を図ることを得たればなり。
美術の上に於ても、ただ具器用精巧のみを競はず古人の高尚なる精神に及ばんことを勉めざるべからず。これ難事にあらず、一に諸君の精神如何にあるなり。余は諸君が、税所知事の賛助を借りて協心尽力以て、この志を成し併せて税所知事閣下と共に将来の美を為すの好機会あるを信ずるなり。羅馬(ローマ)すでに欧州の模範となれり。
奈良独りアジアの模範となる能はざるの理あらんや。また、只(ただ)諸君の勉むると否とにありて存するのみ。さて美術の本義は如何と言うに哲理に関して、これを説明する時は頗(すこぶ)る煩長に渉り、今夕は其時間なきを以て、いささか其大意を略言するのみ。盖し美術の美たるは人の精神上にあるものを能く調和して、これを外に形(あら)はすにあり。若し、人間世界に美術なくんば器機的となり人情野鄙(やひ)に陥り蒸気機関と一般の有様となるは古史に微して明なり。美術は何くに往くも必要にして開明の世界一日も欠くべからざる枢要物たり。然るに世人美術の真義を知らず、あるいは古物を以て美術となす者あり。若し古物なるが故に、これを貴重すといはば瓦礫の古きも宝器の古きも古物たるに於て、その差別なかるべし。又、将来に古物はなかるべし。あるいは遊戯玩弄(がんろう)の具と思える者あり。もし玩弄(がんろう)物と言はば、呉道子の画も金岡の画の筆先の戯たるに過ぎざるべし。又、富貴を飾り豪奢を示すの具と考ふる者あり。もし驕奢の装師と言はば開明政府はこれを檳斥(ひんせき)せざるを得ざるべし。宗教家は佛の威徳を示すを以て美術とし、骨董商は其流行又は価値の軽重を以て、これを論ずるものあり。この如く誤謬の世間に行われたるより、東西とも数百年来、次第に古美術の伝を失うに至れり。欧州にては輓近(ばんきん)以来美術は国の工業に重大なる関係を発明し、特に仏国(フランス)の如きは政府より数百万の金を費して、博物館を設け美術教育を奨励して大いに国産を振起するに至れり。日本の先覚者はすでに比に見る有りて美術教育の必要を論せり。日本人は宜しく彼と競争して勝ち制するを謀るべきなり。されども単に農業に依て国家経済の大勢を定めんとするを謀るべきなり。器機製造の上に於て欧米と競争せんとし又、これを為すは大いに不可なり。日本人に特有なる美術上、高尚なる思想を研磨し以て勝ち制すべきなり。然れども、この美術の完全に達するは一朝一夕の故に非ず。古来、何れの国に於ても数百年に一度ようやく茲(ここ)に達することを得るの例にして必須の境遇あるなり。その機会を得るの方法は美術教育にあり。美術教育の要は其時世と、その場所との要用を認むること第一なり。今日の必須に適して発達せざれば、その隆盛を得る能はず古代は寺院に本尊の必要ありたるが故に仏像彫刻が発達したるなり。美術の進度は常にこれを用ゆるの度に随(したが)って進退せり。