2日目 2月8日(日)快晴 (デリー→パトナ→ラージギル)
06:30 起床。
06:45 日本へ電話する。(日本時間午前10時15分。日曜日で子供たちが休みで電話に出てくれる。長男の弘樹は2歳半で事態が理解できず「どこ行ってんの。何してんの。」の繰り返しで困りました。法務は忙しいようで父と院代3人朝早くからお参りに出かけたとのこと。留守中よろしくお願いしますと伝言。)洗顔。トイレ。体操。荷造り。
08:00 トランクを出して、朝食へ。バイキング。(ナン、野菜入りナン、カレースープ、豆カレー、インド風オムレツなど)大変おいしかったです。3日早くデリー入りしておられた小南さんご夫妻と挨拶。
08:45 フロント集合。諏訪君から今日の説明。私から紀行文集の話。参加者の皆さんに1日ずつ担当していただき、旅の思い出を綴ってもらう事にする。担当は次の通りです。1日目と全体を通して副住職の私。2日目 岡本幸男さん、岡本貴美子さん、浅川育代さん。3日目 石牟礼トシ子さん、岡田幸子さん、大西俊行さん。4日目 木村幸生さん、高坂カヅ子さん、地引 露さん。5日目 高嶋和子さん、小島和子さん。6日目 小南光弘さん、小南佳子さん、関 善和さん。7日目 西京恵子さん、坂下節子さん。8日目 清水文枝さん、永井圭子さん。9日目 松田 忍院代、M川洋志院代。
09:00 ホテル出発。立派なホテルでもう少しゆっくりしたかったです。
09:15 デリー空港着。手続き。持ち物検査のときに蚊取り線香にライターを入れておいたのを忘れていて、引っかかり預ける手続き。その時に航空券を提示してチェックしてもらったのを返してもらうのを忘れて、みんなで時間待ちして話しているときに気づいて、すられたか、落としたかと冷や汗ものでしたがチェックの係官が持っていて何なくを得ました。(急いでいるわけでもないのに何かあせってしまってこういう基本的なミスをしてしまいますから、落ち着いて注意深く行動しないといけないと反省しました。)
10:30 バスで飛行機へ。タラップを上って機内へ。
11:00 10:40離陸予定が20分遅れでインド国内航空(CD―7412便)パトナへ向けて離陸。
11:20 昼食(機内食)カレーチキン、チーズはさみパン、デザート(マンゴープリン)。飛行機を降りてパトナの空港でも昼食の用意があるので少なめにしておく。機内左窓側の方はヒマラヤが遠望できて喜んでおられた。
12:05 パトナ空港到着。空港内のレストランで昼食バイキング。(スープ、ナン、果物をいただく。)
13:15 空港出発。13日のルンビニまでお世話になるバスはなかなか立派なバス(36人乗り?)で、室内もきれいだしシートも座り心地も良く、クーラーもよく効きました。(効きすぎて重ね着しないと寒いくらいでした。)(写真)とにかくクラクションを鳴らしっぱなしという感じ。日本でこんなことをしていたらかえって交通マヒ(喧嘩や苦情で)を起こすのではないかと思うほどでした。しかしよくよく見ますと車道と歩道の区別のない道で人が歩き、自転車が走り、輪タクというタクシーや牛が引く荷車や屋根まで人が乗っている乗り合いバスなどがひしめき合って走っている中でこのクラクションによって自分の存在を知らせているからこそ交通事故がないのだということを知りました。街中を外れると一面菜の花畑で緑の中に黄色の花が遥かかなたまで広がるという景色が延々と続く風景は感動です。
14:30 そんな中木陰のある場所でバスは止まりました。そうです。野外トイレタイムです。男性は菜の花を眺めながら用を足し、女性は躊躇しながらも葉陰の中に消えて行き、子供のころを思い出しましたといいながらすっきりした面持ちでバスに戻られました。
16:15 ラージギルの町に入ってきてラトナギリという岩山が見えてきました。
16:30 霊鷲山の麓に到着。土産物の露天が立ち、物売りが早速駆け寄ってまとわりついて「先生、先生」と、巧みな日本語で声をかけて菩提樹の実の数珠を買えとしきりに擦り寄ってくる。12年前に参加の地引さんいわく「この登り道(ビンビサーラロード)も前回は石がごろごろして歩きにくかったけれどもきれいな参道になって歩きやすくなっています。」とのこと。だんだんと登るにつれて周りが一面ジャングルであることがわかる。100年前に大谷探検隊がこの場所を発見したときにはトラが出るような危険なジャングルであったということもよくわかる気がした。途中で息のあがる方もおられて、普段から歩くことが大切と(目標は1日1万歩)教えられました。毎日歩き、月に2〜3回「歩こう会」で10`くらい歩いてる方はお元気でした。足から弱るといわれますがその通りだと思いました。阿難尊者と舎利弗尊者の瞑想された洞穴をお参りして、いよいよ山頂へ。幅の広い立派な階段が出来て20段ほど登ると頂上は畳20畳位の広さでしょうか。靴を脱いで整理してくれる現地の人がいました。お参りするところはコの字型にレンガが積まれ正面にお花がたくさん供えられ真ん中に香炉がありお線香が焚かれていました。黄色のビニールシートが敷いてあってそこに正座して夕日の今まさに沈もうとする光景を目にしながら皆さんと一緒に「仏説無量寿経、讃仏偈」をお勤めしました。(写真)西に沈むオレンジ色の夕日を見ながら、西方浄土から南無阿弥陀仏となって私を呼び続け働きづめのお慈悲を感無量の思いで受け止めさせていただきました。(写真)
 お供えをするのにズボンの後ろポケットに入れていた財布がない。どこかでスラれたか?それとも飛行機の座席に置き忘れたか?おなかに巻いていた財布からお供えを取り出して何とかその場を取り繕ったが心ここにあらずで心配ばかりでした。ホテルに入ってよく調べてみるとカメラバックの普段使わないポケットに入っていました。盗られないようにと警戒しすぎてどこに入れたかわからなくなってしまったという基本的な失敗でした。とにかく身に着けてどこに何がということを把握しておくべし。という警告と肝に銘じました。
 それはそうとこの場は、私たち浄土真宗の門徒にとりましては所依の根本経典である「仏説無量寿経」が説法された場所であり、また、この場で説法されていた時に王舎城の悲劇で幕をあける「仏説観無量寿経」の王舎城牢獄へビンビサーラ王とイダイケ夫人に向けての説法に赴かれたご縁のある場所でもあります。
 名残惜しみながら、日も沈み暗くなると危険だからということでその場を立ちました。帰り道立派な階段ができるまではここから皆さん登って来たんですよ。という阿難尊者の瞑想窟横からよじ登るようにして上がってくる道を教えてもらいました。ここを通ってくるのは大変なことと改めて整備の進んだ道で参詣者皆さんがお参りできたことを有難く思いました。
 麓までの道も、土産売りの若者たちがわれわれを囲みしきりに売り込んできましたが、暮れ行くジャングルの草原を見渡しながらよくぞ大谷探検隊がここを発見してくれたことと100年前のご苦労を感謝しつつバスに戻りました。(18:00)
18:10 ラージギル法華ホテル到着。今日は満員で、淨教寺参拝団以外に4団体が宿泊していて、部屋割りに苦労しました。1人部屋希望者もここでは相部屋でお願いしました。ちなみに私は男性6名の相部屋で修学旅行気分を味わいました。12畳くらいの畳の部屋で4.5畳の板の間のある広い部屋で畳部屋というのがなんともよい雰囲気でした。
19:30 夕食 食堂で皆さんと一緒に夕食会。和食(メニュー 天ぷら、茄子の田楽、鶏肉の煮付け、ご飯、味噌汁、漬物)岡本団長の挨拶。乾杯して歓談。今日は院主さんの70歳の誕生日ということで「遥かインドの空からおめでとうございます」の乾杯をもう一度しました。そして、明日朝日本へ電話でそのことを伝えるということになりました。
20:40 お開き。各自部屋に戻り休憩。私は売店でお釈迦様の苦行像と菩提樹の数珠の実を買う。
21:45 大浴場へ。シャワーのお湯が出ず湯船につかるのみ。(この湯船も少しぬるかったけどぜいたくは言わない。)
22:30 マッサージをしてもらう。(30分)足を中心に足裏もしてもらいよく効きました。
23:00 就寝。